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柘植 久慶(つげ ひさよし、1942年6月21日 - )は、日本の作家、軍事評論家、コイン研究家。本名平木啓一。 == 経歴 == 愛知県蒲郡市出身。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。 海外旅行に行く日本人がまだ少なかった1961年〔海外旅行が完全に自由化されたのは、1966年(昭和41年)1月1日以降。〕、大学1年の夏期休暇で単身欧州へ渡航中、ベルギーの首都ブリュッセルのホテル近くのバーでスカウトされ、カタンガ国の傭兵隊の一員としてコンゴ動乱に参加した。 以下は主に著書『ザ・グリーンベレー』(1986年)、『傭兵見聞録』(1988年、1991年)に基づき記述 1962年、アルジェリア戦争においてフランス外人部隊の格闘技教官(中尉待遇)として参加。 1965年、外資系商社に入社、市場調査等で海外を巡る〔著作中に当時の給料は「CIAと密接な関係のある民間会社(エア・アメリカ((Air America))の名義で支払われた」という記述が見られる。〕〔米国軍人になるには最低でも米国永住権が必要であるが、著書中等では言及されておらず、自身の米国在留資格については不明である。著書には「(ラオス王国には)アメリカ国内で志願した人間だけでなく、ヨーロッパを中心とする傭兵が数多くいたのだ。とりわけコンゴ動乱経験者が目立った。私も結果的にその中の一人であった。」とある。また著書には、米国特殊部隊と関わりを持つに至った真実の経緯は記さないとある。〕。 1973年より株式会社ジェミニの代表取締役を6年余り勤め〔『新・世界貨幣百科大事典』より〕 、その後、外資系商社社員として海外出張も数多く経験したが、その特異な経歴を生かし1985年頃より作家に転身した〔「たったひとりの戦闘記」(「週刊プレイボーイ」1985年3月12日号~)、単行本は小説『女王の身代金』(1986年4月)及び『サバイバル・バイブル』(1986年4月)。70年代前半には別ペンネームで記事を寄稿。「フランス外人部隊」(国際出版「月刊GUN」1971年6月~1972年12月連載)。「華麗なる悪役マシュ将軍」(中央公論新社「中央公論」1971年6月)。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「柘植久慶」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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