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平松 大志(ひらまつ だいし、1983年7月3日 - )は、栃木県出身の元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー(主にセンターバック(CB))。 ==来歴== 帝京高校を経て、中央大学に進学。サッカー部では主将を務めた。同期に天羽良輔、田中翔太、小林優希。 2006年、水戸ホーリーホックへ入団〔 水戸ホーリーホック (2006年1月15日)〕。同年5月14日東京V戦でデビュー。DF陣の故障者が続出する中、足を痙攣させながらも粘り強い守備で〔J2:第15節 東京Vvs水戸 レポート J's GOAL (2006年5月14日)〕 勝利に貢献した。持ち前のスピードと対人の強さを発揮し、水戸のホーム笠松運動公園陸上競技場では「アイアンボディー」とアナウンスされた。 2007年4月25日、湘南戦において、ヘディングで競った着地時に右腕を脱臼し、約1ヶ月半離脱。復帰以後はフル出場を続けた。この年はJリーグ選手協会支部長を務めた〔役員名簿 (2007) 日本プロサッカー選手会〕。 2008年からは守備のリーダー〔J2 9月度 J'sGOAL月間MIP J's GOAL (2009年10月8日)〕 並びに、チームのキャプテンを務め、守備の要として活躍〔【ひかりTV連動企画】J2 9月度MIP受賞インタビュー 平松大志選手 (水戸) J's GOAL 2008.11.04〕。5月18日のJ2第14節愛媛戦で、Jリーグ初得点を挙げた(この得点が決勝点となり1-0で勝利。)。この年の活躍がFC東京強化部から評価され〔J2水戸のDF平松獲り 東京中日スポーツ (2008年12月7日)〕 獲得のオファーを受けると、選手としての成長を求めて移籍を決意。 2009年よりFC東京に移籍〔 水戸ホーリーホック (2008年12月30日)〕〔 FC東京 (2008年12月30日)〕。CBとして対人プレーやインターセプトに自信を見せ〔平松大志がCB争い殴り込み 東京中日スポーツ 2009.01.30〕、同年の開幕戦でのスタメンに抜擢された。J1初出場となったが、チームは大敗。平松自身も致命的なパスミスをしてしまった〔【J1:第1節 FC東京vs新潟】試合終了後の各選手コメント J's GOAL (2009年3月7日)〕 こともあって、早々に控えに追いやられた。一度は自信を失うも〔平松レギュラー戦線再名乗り サテライト鹿島戦でゴール 東京中日スポーツ (2009年4月20日)〕、DF今野泰幸が日本代表招集によってチームを離れたことを機に〔佐原&平松 先発復帰だ 東京中日スポーツ (2009年5月30日)〕カップ戦で先発出場の機会を得る。予選リーグ終盤の3試合にフル出場し〔選手出場記録 FC東京 2009Jリーグヤマザキナビスコカップ 予選リーグ Jリーグ (2009年6月13日)〕、決勝トーナメント進出に貢献した。シーズン終盤には、相手のサイド攻撃を封じるべくサイドでも起用された〔【J1:第30節 清水vsFC東京】レポート J's GOAL (2009年10月26日)〕。ナビスコカップ決勝戦では右サイドのMFとして途中投入され〔川崎がナビスコ杯決勝で敗れた理由 nikkei.com (2009年11月6日)〕、無失点勝利に貢献。プロ入り後の初タイトルを掴んだ。課題とされたビルドアップの向上に努め〔平松 8カ月ぶり先発 CBで大久保封じ 東京中日スポーツ 2009.11.27〕、第33節神戸戦でリーグ戦スタメン復帰〔東京平松が神戸戦で久々スタメン出場へ 日刊スポーツ (2009年11月26日)〕。CBとして無失点に抑えるとともにJ1での初得点を挙げ、共に控え組として苦闘していた藤山竜仁、浅利悟 の退団セレモニーを勝利で飾った。 2010年は今野、森重真人に次ぐ第3のCBとして、シーズン開幕からカップ戦を含む全試合にベンチ入りしていたが(森重が先発出場しなかった2試合にフル出場)〔選手出場記録 FC東京 2010Jリーグ ディビジョン1 Jリーグ (2010年12月4日)〕〔選手出場記録 FC東京 2010Jリーグヤマザキナビスコカップ 予選リーグ Jリーグ (2010年6月9日)〕、4月25日の練習試合でアキレス腱を断裂し、長期離脱を強いられた。同じく長期の負傷離脱となっていたチームメートの米本拓司は、辛いリハビリ期間中に平松が励ましてくれたことは特に大きかったと述懐している〔 FC東京 2010.9.11〕〔「FOOT VOICE」米本拓司 週刊サッカーダイジェスト1084号 2010.11.9〕。翌2011年もリハビリが続き〔【J2:第37節 FC東京vs千葉】試合終了後の各選手コメント J's GOAL 2011.11.26〕、2012年4月に入り全体練習に合流〔平松 サッカーできて幸せ 東京中日スポーツ 2012.04.26〕。6月9日の練習試合で対外試合に復帰したが〔平松 766日ぶり対外試合 東京中日スポーツ (2012年6月9日)〕、同月20日の練習中にアキレス腱付着部を部分断裂し再離脱となった〔平松がアキレスけん手術 東京中日スポーツ (2012年7月30日)〕。 2013年夏場にかけて再合流〔平松 1年ぶりフルメニュー 東京中日スポーツ (2013年6月12日)〕〔河野広貴、全体練習に合流、平松大志も大きな一歩を刻む blogola (2013年9月12日)〕。同年10月6月の練習試合で好プレーを見せ〔平松 ケガから復帰後初ゴール 東京中日スポーツ (10月7日)〕、同月13日に行われた天皇杯3回戦の千葉戦において、公式戦としては約3年半ぶりにベンチ入りを果たした〔 日本サッカー協会 (2013年10月13日)〕。完調には至らないながらも〔平松大志が引退。「心残りは“エア乾杯”ができなかったこと。ある一人の選手に託します」 blogola (2013年12月30日)〕続く4回戦の大宮戦に途中出場し、3年半ぶりの公式戦出場を記録した。これが最後の出場となり、シーズン終了後に現役引退を表明〔平松大志選手 現役引退のお知らせ FC東京 (2013年12月30日)〕。なお、自身の勝利パフォーマンスは吉本一謙へ引き継がれた〔ヤマザキナビスコカップ【FC東京vs鹿島】試合終了後の各選手コメント J's GOAL (2014年3月19日)〕。 2014年7月より、スポーツアパレルブランド「アンダーアーマー」(アメリカ)の日本正規代理店である 株式会社ドーム に勤務〔 (2014年6月30日)〕。 2015年12月、ドーム社が新たに株式会社いわきスポーツクラブを設立し、福島県リーグに参戦していた『いわきFC』の運営権を取得。平松は高校・大学でのチームメイトであり1学年先輩である田村雄三とともにいわきFCの強化・スカウト部門のスタッフに就任した〔いわきFCスカウトの元Jリーガー「いわきの方々に愛されるチームを作る」 - サッカーキング 2016.01.17 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平松大志」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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