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平 武綱(たいら の たけつな、生没年未詳)は、平安時代後期の武将・豪族。秩父氏(秩父平氏)の当主で、秩父別当職にあった平武基の嫡男。平将門の玄孫。通称は武者十郎。秩父武綱とも称される。妻は源有光長女、子に重綱、河崎基家、女子(児玉経行室)。 == 生涯 == 前九年の役・後三年の役に加わり、源頼義・義家父子に従って戦った。『延慶本平家物語』『源威集』によれば、前九年の役の際、永承6年(1051年)、武蔵府中に逗留していた源頼義から「奧先陣譜代ノ勇士」に選ばれ、白旗を賜ったという。 『源平盛衰記』によれば、後三年の役で武綱は勢揃坂から出陣し、源義家から白旗を賜って先陣を務め、清原武衡らを滅ぼしたとしている。 曾孫に畠山重忠、河越重頼、江戸重長など、源頼朝の平家追討に協力した坂東武者がいる。特に畠山重忠は、頼義・義家の子孫である源頼朝の挙兵にあたり当初敵対し、のちに帰伏する際、「平家は一旦の恩、源氏は重代の恩」と述べて武綱の白旗・白弓袋を差し上げて頼朝の陣営に赴き、秩父一族の参陣を許した頼朝は、先祖の故事にならって重忠に先陣を命じている。 武綱は、秩父郡吉田郷の鶴ヶ窪台地に居城・秩父氏館(吉田城)を構えて、広大な秩父牧を支配した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平武綱」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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