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平沢和重 : ミニ英和和英辞書
平沢和重[ひらさわ かずしげ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [さわ]
 【名詞】 1. (1) swamp 2. marsh 3. (2) mountain stream 4. valley 5. dale 
: [わ]
 【名詞】 1. (1) sum 2. (2) harmony 3. peace 
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important

平沢和重 : ウィキペディア日本語版
平沢和重[ひらさわ かずしげ]
平沢 和重(ひらさわ かずしげ、1909年9月14日 - 1977年3月7日)は、日本の外交官。元NHK解説委員


== 経歴 ==
香川県丸亀市生まれ。東京帝国大学卒業。駐米日本大使秘書官、ニューヨーク領事などを経て、1949年、NHK解説委員。「ジャパンタイムズ」編集主幹。産経新聞論説顧問。三木内閣外交ブレーン。
外交官時代の1938年4月、バンクーバーから横浜に向かう氷川丸に乗船した際、偶然にもIOC委員の嘉納治五郎と出会い、交友を深めた。しかし、嘉納はその船旅の最中に肺炎を患い急死してしまう。平沢は船内にて嘉納の最期を看取った。
1959年5月にミュンヘンで開かれたIOC総会に出席し1964年東京オリンピック開催立候補趣意説明を行い、第18回五輪の誘致に尽力。なお、この趣意説明の際、「嘉納治五郎の最期を看取った人物」であると紹介されている。実は本人は「東京五輪の開催は時期尚早」としてNHKの番組等で反対意見を唱えていたが、IOC総会の直前になり当初プレゼンテーションを担当する予定だった人物(平沢の友人だった外交官参事官の北原秀雄)が怪我(足の骨折)で渡欧できなくなり、急遽東龍太郎竹田恒徳ら関係者から代わりのプレゼンテーション担当として口説かれ、宗旨替えして招致活動に協力することになった〔『祖国へ、熱き心を -東京にオリンピックを呼んだ男-』(高杉良著、新潮文庫2001年)pp.420 - 421〕。
1時間の持ち時間だったが、外務省参事官の原稿を書き直した15分の演説の概要は、「日本は極東と呼ばれているが、飛行機の時代になり極東ではなくなった。国際理解や人間関係の心の距離を消すには人と人が直接会う事が一番で、お互いに理解する事から世界平和が始まる。今こそオリンピックをアジアで開くべき時。」とIOC委員に訴えた〔2013年8月20日20時NHK総合放送「1964東京オリンピック~第2回オリンピック招致にかけた男たち」〕。
1951年に発効した「日本野球協約」は、GHQ経済科学局長・ウイリアム・F・マーカット少将が、松本瀧藏に、日本の野球協約を作ったらどうかと勧め、アメリカからルールを取り寄せ松本に渡し、福島慎太郎を経て、平沢がその大部分を引き写して作成したものとされている〔下田武三『プロ野球回顧録』ベースボール・マガジン社、1988年、p25-27〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「平沢和重」の詳細全文を読む




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