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平泉(ひらいずみ)は、岩手県南西部にある古くからの地名であり、現在の平泉町の中心部にあたる〔『コンサイス日本地名事典』第4版、三省堂、2005年〕。 この地域一帯には、平安時代末期、奥州藤原氏が栄えた時代の寺院や遺跡群が多く残り、そのうち5件が「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」の名で、2011年(平成23年)6月26日(現地時間:6月25日)にユネスコの世界遺産リストに登録された〔トピックス (岩手県教育委員会)〕。日本の世界遺産の中では12番目に登録された文化遺産であり〔自然遺産も含めた全体では16番目。同じ年に「小笠原諸島」も登録されたが、世界遺産センターの公式発表は、小笠原諸島が6月24日、平泉が6月25日である(cf. Japan's Ogasawara Islands on UNESCO's World Heritage List , Barbados enters World Heritage List with Bridgetown and its Garrison; Hiraizumi (Japan) and Germany's Beech Forests also inscribed . いずれも世界遺産センターによるプレスリリース)。〕、東北地方では初の世界文化遺産となった。 == 歴史的背景 == 世界遺産と関わりのある範囲で歴史的背景を概説する。 平泉は北を衣川、東を北上川、南を磐井川に囲まれた地域である。この地を11世紀末から12世紀にかけて約90年間拠点としたのが、藤原清衡に始まる奥州藤原氏である。「平泉」という地名を史料的に確認できる最古の例は『吾妻鏡』の文治5年(1189年)の項目で、時期的に重なっている〔高橋 (1999) pp.30-32〕。その語源は、泉が豊富だったという地形的要因に基づく説がある一方で〔斉藤 (1992) p.44〕、仏教的な平和希求の理念に基づくという説もある〔高橋 (1999) pp.32-34〕。 清衡は康和年間に平泉に本拠地を移し、政庁となる「平泉館」(ひらいずみのたち、現 柳之御所遺跡)を建造した。さらに中尊寺を構成する大伽藍群を建立していったが、この時点の平泉にはその2つの建造物群しかなく、都市機能は衣川を挟んだ対岸の地区にあった〔この頃の遺跡として、2005年に衣川流域で接待館遺跡をはじめとする衣川遺跡群が発見された(斉藤 (2011) pp.50-53)。〕〔斉藤 (2011) pp.50-53〕。 中尊寺金色堂建立の頃を境に建造物は南へと伸長していくようになり、2代基衡の時代には、平泉館での新しい中心地となる大型建物の新築、毛越寺の建立やそれに合わせた東西大路の整備などが行われ、都市機能が着実に整備されていった〔斉藤 (2011) pp.63-66〕。3代秀衡の時代には、平泉館の大改築、無量光院の建立やそれにともなう周囲での新市街の形成など、平泉全体の都市景観が大きく様変わりした〔斉藤 (2011) pp.75-81〕。初代から3代のそうした変化を、順に「山平泉」「里平泉」「都市平泉」と位置付ける者もいる〔高橋 (1999) p.46〕。 奥州藤原氏は4代泰衡の時に源頼朝によって滅ぼされ、平泉に込められた独自の仏教理念が引き継がれることはなかったが、平泉の建造物群については保護された〔斉藤 (2011) p.88〕。それに関連し、頼朝は平泉陥落直後(1189年)に中尊寺や毛越寺の僧侶に対し、報告書の作成と提出を命じた。それが『吾妻鏡』文治5年9月17日条に収録された「寺塔已下注文」(じとういかちゅうもん)で、当時の平泉を窺い知る上での一級史料と評価されている〔斉藤 (1992) p.58〕。 後の時代の火災などによって失われた建造物群も少なくないが、昭和から平成にかけての発掘調査などによって、寺院跡などが発見・復元されるようになっている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平泉」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Historic Monuments and Sites of Hiraizumi 」があります。 スポンサード リンク
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