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平田三位(ひらた さんみ、生没年不詳)は戦国時代の兵法家。尾張国の人。法名は祐秀という。 == 生涯 == 平田三位については、その来歴については必ずしも明確でないところが多い。但し、尾張国春日井郡に平田村に平田城あり。同地に尾張守護 斯波氏の一門たる平田氏が城主を務めるという。『尾張志』に平田氏の当主として平田伊豆守の名が見え、『信長眞記』には平田和泉守の名を載せるが、何らかの血縁か。但し、その真否は不明である〔尾張国の平田氏については、太田亮著、上田萬年、三上参次監修『姓氏家系大辞典 第2巻』(角川書店、1934年)5077頁参照。〕。 『信長公記』によると、織田信長が16歳から18歳にかけて、弓を市川大介、鉄砲を橋本一巴、兵法を平田三位を学び、信長は絶えず、平田らの師を側近くに招いて教えを請うたという。後に平田は十輪山密巖寺の住職となり祐秀和尚と名乗るという〔太田牛一著『信長公記』(甫喜山景雄、1881年)4頁、 巻首 「上総介殿形儀の事」及び同17頁巻首「天沢長老物かなりの事」などを参照のこと。〕。 三位と名乗るが、実際に公卿である正三位・従三位に叙された事実はなく〔当時、尾張守護である斯波義統、そして尾張国内の実力者であった織田信秀など守護や大名さえも五位留まりで、全国の武家で正三位または従三位の位階にあるのは足利将軍家及びその連枝、鎌倉公方、斯波氏・畠山氏・細川氏などの三管領をはじめとする足利一門、土佐一条氏、北畠氏、姉小路氏など国司大名、さらに山名氏、大内氏、若狭武田氏、伊東氏など有力な、或いは将軍家との姻戚関係のある守護大名、戦国大名に限られていた。〕、石山本願寺の坊官として下間三位、豊臣秀次の実父に三好三位、また尾張守護代・織田氏の家老にも織田三位なる名が見えるが〔谷口克広著『織田信長合戦全録―桶狭間から本能寺』(中央公論新社、2002年)38頁、堀新編『信長公記を読む』(吉川弘文館、2009年) 8頁参照。〕、これらの三位とは百官名など仮名の一種と見るのが妥当である〔百官名については、松村明編『大辞林 第三版』(三省堂、2006年)2156頁、新村出編『広辞苑 第六版』(岩波書店、2011年)2391頁参照。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平田三位」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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