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平田佐十郎 : ミニ英和和英辞書
平田佐十郎[ひらた さじゅうろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [さ]
 【名詞】 1. help 
: [とお]
  1. (num) 10 2. ten 

平田佐十郎 : ウィキペディア日本語版
平田佐十郎[ひらた さじゅうろう]
平田 佐十郎(ひらた さじゅうろう、1893年明治26年) - 1918年大正7年)11月11日)は、三重県四日市市出身の実業家。平田家の3代目当主である。2代目平田佐次郎から一旦平田家の家督を継承した平田紡績の3代目社長。2代目平田佐次郎の長男。三重県三重郡富洲原村(現在の四日市市富田一色本町(現在の富田一色地区七軒本町)出身)でスペイン風邪病死者である。
== 平田紡績家 ==
2代目平田佐次郎と吉川たきの長男として三重県三重郡富洲原村の富田一色本町で出生した。祖父は、平田紡績創業者の「初代平田佐次郎」であり、父は三重郡富洲原町議会議員の「2代目平田佐次郎」であり、幕末1859年安政6年)9月14日生まれである。
初代と2代目の親子2代で「平田佐次郎」を襲名していたが、3代目当主は「3代目平田佐次郎」ではなくて、「平田佐十郎」を名乗った。
平田佐十郎は三重県三重郡富洲原村(現在の四日市市富田一色地区)の実業家である平田紡績家の2代目当主の平田佐次郎の長男として出生する。8男4女の12人兄弟であり、母親の吉川家出身の平田たきは最後の子供の平田佐貞などの双子男子出産をした際に体調が悪化して病死した。2代目平田佐次郎の後妻のしな子は1852年嘉永5年)生まれである。
3弟は平田紡績の4代目社長で四日市市長の平田佐矩である。5弟は平田紡績番頭の宗村家に養子にいった暁学園の創設者の宗村佐信。7弟は大日本帝国陸軍軍人芸術家平田佐貞である。〔三重県紳士録三重郡の部107ページ上段左側〕
学歴は富洲原尋常小学校→四日市商業学校(現在の三重県立四日市商業高等学校)の卒業生である。甥が平田紡績6代目社長である宗村完治。他の甥は平田紡績7代目社長代行の宗村明夫。暁学園3代目理事長の宗村南男。平田佐矩の長男の平田佐造。妹の嫁ぎ先が川越村(現在の三重郡川越町高松地区)の光倫寺の僧侶の横瀬家で、義弟である横瀬善賢。もう1人の妹の嫁いだ家は川越村(現在の三重郡川越町南福崎地区)の法雲寺僧侶家である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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