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平田 恒雄(ひらた つねお、1955年11月9日 - 2016年2月9日)は、岐阜県出身の元プロ野球選手(外野手)。登録名は平田恒男(読み同じ)。 == 来歴・人物 == 岐阜・中京商高では、右翼手、控え投手として1973年の春夏の甲子園に連続出場。春の選抜では、1回戦で天理高に逆転負け〔「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年〕。夏の選手権では高橋俊春のいた伊香高を破り2回戦に進むが、天理高の佐藤清投手に完封を喫する。この大会では2試合いずれも山北芳敏(明大)をリリーフし登板〔「全国高等学校野球選手権大会70年史」 朝日新聞社編 1989年〕。1年下のチームメートに一塁手の原田末記がいた。卒業後は三協精機に進むが、樋江井忠臣、伊藤弘利などの好投手がおり、都市対抗等の大舞台では活躍できなかった。 1978年のドラフト4位で中日入団。シュート、カーブが売りの左腕投手だったが、一軍登板のないまま1981年より外野手に転向。主に代打、守備固めとして起用される。同時期に在籍した川又米利とタイプが同じなため、あまり出場機会には恵まれなかった。1985年限りで現役引退。 引退後は佐川急便野球部(軟式)に所属、元同僚の大河原栄、栗岡英智らと共にプレーし、のち同野球部の監督も務めた。 2016年2月9日、敗血症のため死去〔元中日外野手・平田恒男氏が死去、60歳 サンケイスポーツ 2016年2月11日閲覧〕。。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平田恒雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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