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平田曽我山古墳(ひらたそがやまこふん、平田曾我山古墳)は、高知県宿毛市平田町戸内にある前方後円墳。宿毛市指定史跡に指定されている。 現在見つかっているものでは高知県唯一の前方後円墳で、高知県では最大規模の古墳であるが、現在はほぼ消滅している。 == 概要 == 平田川左岸、標高約20メートルの丘陵上に築造された古墳である。平田川対岸には古墳時代前期の直径約18メートルの円墳2基(高岡山古墳群)が存在しており、曽我山古墳はそれらとともに「平田古墳群」を形成している〔平田曽我山古墳 (宿毛市立宿毛歴史館)。〕。 この古墳は、1948年(昭和23年)の平田中学校建設に際して銅鏡などが出土したことにより発見された。発見以前には「曽我山」と呼ばれる丘陵上に曽我神杜(山名の由来)が祀られ、その社殿東に円丘が存在する状態であったという。しかし古墳とは認知されていなかったため、発見時にはすでに円丘の大部分が削り取られた状態であった。その建設工事で埋葬施設は破壊され、墳丘の元の規模もまた明らかでないが、推定長は110メートル(別説では60メートル)を測り、古墳時代中期の5世紀前半頃の築造と推定されている。平田古墳群においては、高岡山1号墳→高岡山2号墳→曽我山古墳の順で古墳が築造されたと見られるが、その後の変遷は明らかでない〔『高知県の歴史』山川出版社、2001年、pp. 28-29。〕。 古墳の被葬者については、波多国造の領域(高知県西部)を代表する古墳であることから、初代波多国造の天韓襲命(あめのからそのみこと)〔『先代旧事本紀』「国造本紀」波多国造条。〕に推定する説がある。古墳の形成時期が都佐国造の領域(高知県中部・東部)よりも早いことから、ヤマト王権への服属が幡多地域から始まったことを表すとする説もある。 1957年(昭和32年)7月27日に古墳域は宿毛市指定史跡に、出土品は宿毛市指定文化財に指定された。現在では古墳部分はほぼ消滅し、丘を残す状態のみとなっている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平田曽我山古墳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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