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平田紡績 : ミニ英和和英辞書
平田紡績[ひらたぼうせきかぶしきがいしゃ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [た]
 【名詞】 1. rice field 

平田紡績 : ウィキペディア日本語版
平田紡績[ひらたぼうせきかぶしきがいしゃ]

平田紡績株式会社(ひらたぼうせきかぶしきがいしゃ)は、かつて1987年(昭和62年)まで三重県四日市市(富洲原地区)に存在した漁網の製造販売事業をする株式会社である。
現在は商号(社名)を、Oakキャピタル株式会社(英文社名はOak Capital Corporation)と変更し、金融事業を行っている。
1868年慶應4年)に、桑名藩領(富田一色村)出身の海運業者の初代平田佐次郎が、平田商店の名で創業した。名称は平田製網旭製網平田製網平田紡績平田漁網製造平田紡績と変遷がある。綿糸から漁網までの一環製造を行い、第2次世界大戦期までは漁網生産高日本一の企業であった。1986年(昭和61年)地産グループに買収され、1987年(昭和62年)ヒラボウに社名を変更、2001年(平成13年)ビーエスエル (BSL) に改称、2006年(平成18年)Oakキャピタルと順次改称した。三重県四日市市から東京都港区本社を移転した。函館漁網工場・八戸仕立て漁網工場・四日市漁網工場・四日市紡績工場を閉鎖して、分社化を行なった。投資事業を行う投資顧問会社パン製造販売事業・コーヒー製造販売事業・食品加工を行う食品事業など別の新しい事業に参入した。漁網生産をする製網業を中心とする繊維事業からは撤退した。 
== 歴代社長 ==

* 平田家→宗村家→竹井家の順で経営者となった。
;平田家時代
* (初代社長)初代平田佐次郎
:平田紡績の創業者である。元々は、江戸時代の農民(百姓)身分であった朝明郡南福崎村の水越家の出身であった。富田一色の廻船問屋であった平田佐次郎の元へ奉公に出て、養子となり平田家の家祖となった。初代平田佐次郎を襲名した。〔四日市市立富洲原小学校創立100周年記念誌の145ページ~146ページ上段6行目〕 
* (2代目社長)二代目平田佐次郎
:富洲原村選出の三重郡会議員である。初代平田佐次郎の息子として2代目平田佐次郎を襲名して家督相続をした。子福者で、8男4女の12人の子供に恵まれた。
* (3代目社長)平田佐十郎
:大正時代ドイツドイツ帝国)の繊維技術を視察した後に流行病スペイン風邪に感染した。若くして24歳で病死をした。平田家の後継者であり、2代目平田佐次郎の長男として家督相続をした。 
* (4代目社長)平田佐矩
:四日市市長としてコンビナート四日市コンビナート)の誘致をした。2代目平田佐次郎の3男であり平田佐十郎の3弟として家督相続をした。
;宗村家時代
* (5代目社長)宗村佐信
:暁学園の創設者である。平田紡績の番頭であった宗村家の養子となり家督相続をした。2代目平田佐次郎の5男であり平田佐十郎の5弟として経営者となる。
* (6代目社長)宗村完治
:学歴慶應義塾大学卒業で富洲園団地として天ヶ須賀工場の用地の半分を売却をする不動産事業後の昭和58年に死去した。宗村佐信の長男として相続した。
* (7代目社長)宗村明夫
:学歴は慶應義塾大学卒業で宗村完治の弟して社長代行から7代目社長となった。
;竹井家時代
* (8代目社長)竹井博友
:地産グループの総帥で不動産事業が目的で平田紡績を買収した。
* (9代目社長・11代目社長)竹井博康
:博友の次男である。
* (10代目社長)河田潤
:日本興銀の出身である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「平田紡績」の詳細全文を読む




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