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平 知信(たいら の とものぶ)は平安時代後期の貴族。桓武平氏高棟王流、春宮亮・平経方の子。官位は従四位上・出羽守。知信の家系はいわゆる「日記の家」に属し、知信も『平知信朝臣記』を残した。 == 経歴 == 承徳元年12月(1098年2月)蔵人所雑色に補任される〔『中右記』承徳元年12月29日条。〕。また、大学に入り文章生となり、康和4年(1102年)2月、六位蔵人・高階宗章の叙爵を受けて、雑色であった知信が後任として六位蔵人に補任された〔『殿暦』康和4年2月1日条。〕〔『中右記』康和4年2月2日条。〕。長治2年(1105年)正月に検非違使となり、同時期に左衛門少尉に任官。嘉承(1106年-1107年)頃より藤原忠実の家司としての活動が見え始める。高い事務能力を買われ、その後も長きにわたって忠実家の家司として活躍した。天仁元年(1108年)8月に兵部少輔に任ぜられる〔『中右記』天仁元年8月29日条。〕。 天永・永久・元永(1110年-1119年)にかけて『殿暦』に忠実の許で実務を熟す様子が多く記されている。天承2年(1132年)少納言に任ぜられ〔『平知信朝臣記』天承2年正月22日条。〕、同年2月正五位下に昇叙〔『中右記』天承2年2月28日条。〕。その後出羽守となり地方官に遷るが、康治2年12月29日(1144年2月4日)、重病により出家〔『台記』康治2年12月30日条。〕。翌康治3年(1144年)2月19日に卒去した〔『本朝世紀』康治3年2月19日条。〕。享年不明。極位は従四位上であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平知信」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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