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平野 岳史(ひらの たけひと、1961年8月25日 - )は、日本の実業家。人材派遣会社フルキャストホールディングスの創業者。同社の代表取締役社長や取締役会長を歴任した。 == 略歴・人物 == 神奈川県横浜市出身。小学3年生で父親を亡くし、母子家庭となる。中学3年生の時には母親が癌になり、卒業後の就職も考えるほど生活が困窮していたという。 横浜市立南高等学校ではラグビー部に所属、主将も務めた。神奈川大学第二経済学部経済学科に進学、一度は起業を考えたが、神奈川大学第二経済学部卒業後は、先物取引業務のハーベストフューチャーズに就職し、3年間同社に勤め営業力を磨いた。 同社を退社後は定職には就かず、フリーターもしくはニートのような生活を送る。再び起業を夢見たもののアイディアも資金も無く、漫然と日々を送っていたが、家庭教師のアルバイトで石川敬啓(元・フルキャストHD取締役)と出会い、1987年に後のフルキャストの母体となる『株式会社神奈川進学研究会』(現・フルキャストテクノロジー)を設立した。この時、神奈川進学研究会からの依頼で新規事業の企画立案など、フルキャストの新設全てをサポートしたのが、グッドウィル・グループ(現・プロンプトホールディングス)創業者の1人である佐藤修だった。 その後、貝塚志朗(元・フルキャストテクノロジー代表取締役社長)も加わり、「スポット派遣」と呼ばれる日雇い派遣事業や製造業派遣にも参入した。また、軌を一にして、スポット派遣の必需品とも言える携帯電話やインターネットが普及し始め、その後の労働者派遣法の改正(規制緩和)という追い風にも乗り、一代でフルキャストをグループ20社以上(現在は統合により減少)の大企業にまで成長させた。 フルキャストの知名度上昇と共に、平野自身も「元フリーターの社長」を自称して、積極的にマスメディアへ露出した。フリーターやニートと呼ばれる若者らを擁護する発言や〔フルキャスト 平野岳史(ひらの・たけひと)社長 2006年7月16日放送『経済羅針盤』〕、こうした人達の自立・就職支援を目的としたビジネススクール『フルキャストグローイングスクール〔フルキャストグローイングスクールのpdf 〕』(2009年に閉鎖)を創設するなど、「若者の良き理解者」という立場で注目を集め、「フリーター・ニートの救世主」などと持て囃された。しかし、後述のようにフリーターらを蔑視する発言もするなど、自身の経験からか、フリーターやニートを「怠惰な若者」として捉えている様子も窺がえる。本業以外でも、2007年度のミス・インターナショナル日本代表選出大会の審査員を務めたり、自伝本を出版するなど、“活躍”した。 ところが、2006年頃からフルキャストグループによる悪質な違法行為が相次いで発覚し〔詳細はフルキャストホールディングス#問題・不祥事を参照。〕、また、同社の主力事業であった日雇い派遣がワーキングプアを発生させていると指摘され始めた事から企業イメージが急速に悪化、平野個人に対する批判の声も高まった。そして、2007年に同社が厚生労働省から業務停止命令を受けた責任を取り、同年9月30日付で代表権のない取締役会長に退いてからは、メディアへの露出も無くなり、殆ど表舞台には姿を現していない。 2014年3月に行われた株主総会で、相談役も退き、完全にフルキャストの役員から去った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平野岳史」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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