翻訳と辞書
Words near each other
・ 平野進也
・ 平野道彦
・ 平野達男
・ 平野邦雄
・ 平野郵便局
・ 平野郵便局 (大阪府)
・ 平野郷
・ 平野郷屋敷
・ 平野郷町
・ 平野里菜
平野重久
・ 平野重吉
・ 平野野平
・ 平野金華
・ 平野鈴
・ 平野長勝
・ 平野長政
・ 平野長暁
・ 平野長泰
・ 平野長発


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

平野重久 : ミニ英和和英辞書
平野重久[へいや]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
平野 : [へいや]
 【名詞】 1. plain 2. open field 
: [の]
 【名詞】 1. field 
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important

平野重久 ( リダイレクト:平野縫殿 ) : ウィキペディア日本語版
平野縫殿[ひらの ぬい]
平野 縫殿(ひらの ぬい、文化11年(1814年8月 - 明治16年(1883年12月3日)は、江戸時代末期(幕末)の下総佐倉藩の家老である。別名は重久、知秋。字は伯敬。
文化11年(1814年)に生まれる。佐倉藩士の家柄であり、天保11年(1840年)からは昌平坂学問所で3年間を過ごした。帰国後は藩主・堀田正睦に仕えて藩校・成徳館の講師となり、そして教授にまで抜擢された。日米修好通商条約が調印された際には監察として同席。
将軍継嗣問題条約勅許問題などで正睦が失脚し、堀田正倫が藩主になると、正倫の家老として仕えて藩政に参与する。慶応4年(1868年)1月の鳥羽・伏見の戦い後、正倫は上洛して新政府に対し、徳川氏の存続と徳川慶喜追討令の取消を嘆願するが、かえって新政府に捕らえられて京都に拘禁されてしまった。このため、佐倉藩は藩主不在という危機を迎えたが、縫殿は家老として冷静に対処し、新政府が大多喜藩に対して出兵するように命令が下ると、佐幕派などの過激な意見を抑えた上で大多喜出兵に応じ、藩の危機を救っている。
明治時代には佐倉藩史を編纂するなど、文化活動に貢献した。明治16年(1883年)に死去。享年70。
== 関連項目 ==

*平野氏


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「平野縫殿」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.