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平野 長泰(ひらの ながやす)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。平野長治の子。諱は初め長勝。平野氏は鎌倉幕府の執権北条氏の庶流の子孫という。一説には長治は清原業賢の子(清原宣賢の孫)とする。 == 生涯 == 尾張国津島の出身で、若くして羽柴秀吉に仕えた。本能寺の変の後、対立が激しくなった秀吉と柴田勝家が天正11年(1583年)近江国賤ヶ岳で決戦をした(賤ヶ岳の戦い)際に福島正則、片桐且元らと共に格別の働きをして賤ヶ岳の七本槍と称えられた。その後、秀吉の天下統一の戦いの中、長泰も戦功を重ね、大和国十市郡田原本近隣七ヶ村において5千石の知行を与えられた。 慶長2年(1597年)、従五位下遠江守に叙任され、豊臣姓を下賜された。 関ヶ原の戦いでは東軍に付き、旗本として徳川秀忠に仕えた。秀忠が率いた軍は関ヶ原の本戦に間に合わなかったため、目立った手柄を立てることはできなかった。 大坂の陣では豊臣方に合流しようとしたが、江戸留守居役を命じられ留め置かれた。 終始豊臣方であり続けようとする気骨などが災いして、七本槍の中で唯一人大名とはなれなかったが、子孫は九代続いて明治まで生き残り、明治新政府の高直しにより大名・田原本藩となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「平野長泰」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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