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年忘れにっぽんの歌 : ミニ英和和英辞書
年忘れにっぽんの歌[としわすれ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ねん, とし]
  1. (n-adv,n) year 2. age 
年忘れ : [としわすれ]
 (n) year-end drinking party
ぽん : [ぽん]
  1. (adv) (onom) pop 2. plop 3. cloop
: [うた]
 【名詞】 1. song 2. poetry 

年忘れにっぽんの歌 ( リダイレクト:にっぽんの歌 ) : ウィキペディア日本語版
にっぽんの歌[にっぽんのうた]

にっぽんの歌(にっぽんのうた)は、テレビ東京が毎年大晦日と夏に放送する演歌を中心とした音楽番組である。昭和の曲と最新ヒット曲を放送する。
==概要==
テレビ朝日がNET時代に同名の番組が存在しており、(⇒にっぽんの歌 (NET)を参照)番組名としては、NETの方が古い。
もともと、『にっぽんの歌』はテレビ東京で1982年10月25日から1989年3月28日までレギュラー番組として玉置宏京唄子(1984年からは渡辺友子、1988年頃~1989年は大場久美子)が司会を担当していた演歌・懐メロ番組であった。放送時間は次の通り。
この番組の源流は1968年4月3日1974年3月31日に同局の前身・東京12チャンネル〔当時は日本科学技術振興財団テレビ事業本部が運営。1973年11月1日から株式会社東京十二チャンネルに放送免許継承。〕でコロムビア・トップ・ライトの司会で放送された『なつかしの歌声』、さらに東京12チャンネル開局翌年1965年9月17日1966年1月7日に放送された芥川隆行司会の『歌謡百年』まで遡ることができる。
この年末特集番組が放送されるようになった時期は1966年12月31日の『歌こそわがふるさと』が最初である〔朝日新聞(東京版) 1966年(昭和41年)12月31日朝刊テレビ欄参照〕。2年後の1968年12月31日に『なつかしの歌声大会』という番組が放送され〔朝日新聞(東京版) 1968年12月31日朝刊テレビ欄参照〕、この番組が現在まで続く『年忘れにっぽんの歌』の第1回とされている。1969年に『なつかしの歌声・年忘れ大行進』というタイトルになりカラー放送へ移行(1969年から映像が残されている)。その後、『輝く日本の歌声・年忘れ大行進』(1975年)、『きらめく日本の歌声・年忘れ大行進』(1976~1979年)と改題。そして1980年より現在の『年忘れにっぽんの歌』というタイトルで放送されている。2000年の『年忘れ-』からハイビジョンで制作されている。
最近ではJ-POPアーティストの出演が多い『NHK紅白歌合戦』に代わって『年忘れ-』を大晦日の音楽祭の出演目標とする演歌歌手が増えている。ただ、常連だった歌手が故人になったり、また高齢化による出演辞退が増えてきたことにより、近年の当番組においてもテツandトモはなわ笑福亭鶴光左とん平(2008年『夏祭り-』)、小松政夫(同)といったコミックソングのヒット曲を持つお笑い芸人や田中健村上弘明(共に2008年『夏祭り-』)といった俳優が出演したり、松平健による「マツケンサンバ」全曲メドレーが行われるなど、これまでとは異なるようなキャスティングが行われるようになりつつある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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