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幸州山城の戦い(こうしゅうさんじょうのたたかい)は、文禄・慶長の役において、1593年(文禄2年)2月12日に、朝鮮半島の漢城西方に位置する、幸州山城(現在の高陽市徳陽区幸州内洞)で行われた戦闘。 == 背景 == 1592年(文禄元年)、豊臣秀吉の出兵により文禄の役が始まると、日本軍は緒戦で占領地を広げた。李氏朝鮮は宗主国の明を頼み、万暦帝は大軍を派遣して、同年末から明の反攻が始まった。1593年(文禄2年)1月8日、李如松は小西行長の守る平壌を奪還し、更に南下した李如松の率いる明軍は、26日からの碧蹄館の戦いで日本軍の迎撃を受けて打ち破られ、臨津江を渡って退却した。 一方、全羅道方面では権慄の率いる朝鮮軍が水原の禿城山城を拠点に守勢を布いていたが、明軍による平壌奪回と南進に呼応して、幸州山城へ進出した。権慄は約4000の兵力のうち、2300を直率して城に籠もる他、残りの約2000を宣居怡に指揮させて、城外の後巻として配置した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「幸州山城の戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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