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幸村 ケンシロウ(ゆきむら けんしろう、1964年8月28日 - )は日本のプロレスラー。プロレスリング求道軍の創始者。熊本県八代市出身。八代高校卒業後、熊本商科大学(現:熊本学園大学)経済学部卒業。血液型O型。現在は「教育プロレス」と称して熊本県内の学校を廻り、学校の体育館等にリングを組み授業の一環としてプロレスを見せている。 == 来歴 == プロレスラーを志し52kgの体重をがむしゃらな筋力トレーニングと1日米1升を食べ続けることで、大学卒業時にで100kgまで増やした。 頭にこぶを作って無理矢理171cmにし、新日本プロレス学校の入試に合格。プロレスの基礎を学ぶが10か月後に家庭の事情で帰郷。 リサイクル企業経営、家業の菓子問屋の手伝い、塾講師などさまざまな仕事をして借金返済のために働く。仕事を終えた深夜にトレーニングを続けた。 1992年10月29日、名古屋ダイアモンドホールで行われたウルトラマンロビンが主催する「FUREELANCE-FESTIVAL」で、ホーデスミン(現:ポイズン澤田JULIE)を相手にデビュー。ドロップキックで歯が折れ記憶が飛ぶ散々な内容だったが、28歳で立ったリングが 「うれしかった」と述べている。後にフリーとして PWCなどに参加。 1994年、西日本プロレスに入団。 1997年7月20日、熊本県三角町(現:宇城市三角町)で「九州求道軍」をプレ旗揚げ。ここから正式旗揚げまでの5年間は、個人としてはさまざまな団体にあがるものの、団体としてはプレ旗揚げ戦と1999年の大会の2回しか興行が打てず、実質フリー状態だった。リングコールの際「九州求道軍総帥!」と呼ばれる。UNWなどに参加。 1999年、自宅の倉庫(菓子問屋)が家業をやめて全て使えるようになったのを機に、トレーニングジム「ザ・ジム求道軍」を開業。 2000年6月11日、キングダムエルガイツで入江秀忠と第二次UWFルールで対戦する。 2002年6月1日、八代・熊本木材八代支店大倉庫にて団体名を「プロレスリング求道軍」と改め旗揚げする。この頃社会貢献への思いを強くする。 2009年、教育のための授業プロレス開始。 2010年、支援NPO法人「教育プロレス・幸村ケンシロウ」発足。設立記念パーティーを日航ホテル熊本にて開催し、150名を超える参列者が訪れた。またNHK総合テレビ『ドキュメント20min.』で「教育レスラー参上!」と題され、幸村が行う教育プロレスの模様が全国放送された。4月に第2代九州無差別級タッグ王者になる。 2014年、現役として健在であり教育プロレスも定期的に開催している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「幸村ケンシロウ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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