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幸神神社のシダレアカシデ : ミニ英和和英辞書
幸神神社のシダレアカシデ[さじかみじんじゃのしだれあかしで]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さち]
 【名詞】 1. happiness 2. wish 3. fortune 
: [かみ]
 【名詞】 1. god 
神神 : [かみがみ]
 (n) gods
神社 : [じんじゃ, かむやしろ]
 【名詞】 1. Shinto shrine 
: [やしろ]
 (n) shrine (usually Shinto)

幸神神社のシダレアカシデ : ウィキペディア日本語版
幸神神社のシダレアカシデ[さじかみじんじゃのしだれあかしで]

幸神神社のシダレアカシデ(さじかみじんじゃのシダレアカシデ)は、東京都西多摩郡日の出町大久野の幸神神社境内に生育するシダレアカシデの古木である〔神社名の読み方については、文献やウェブサイトによっては「さちかみ」を採用しているものも多く見受けられる。ただし、本稿では「文化遺産データベース」等の記述に拠った。〕〔渡辺、142頁。〕〔『日本の天然記念物』5、46頁。〕。推定の樹齢は通説では700年といわれ、1942年(昭和17年)に国の天然記念物に指定された〔〔『天然記念物事典』、121頁。〕〔幸神神社のシダレアカシデ 文化遺産データベース、2013年9月7日閲覧。〕〔『「幸神神社のシダレアカシデ」樹勢回復調査報告書』、10-13頁。〕。カバノキ科の植物としては2013年(平成25年)9月現在の時点で唯一の国指定天然記念物であり、枝がしだれるアカシデはこの木が日本でただ1本のものとされる〔『「幸神神社のシダレアカシデ」樹勢回復調査報告書』、14頁。〕〔幸神神社のシダレアカシデ PORTAL TOKYO 東京ガイド、2013年9月7日閲覧。〕。近年になって樹勢の衰えが問題視されたため、日の出町では平成20年度から平成22年度の3か年の間に国庫補助事業として樹勢回復調査を実施した〔『「幸神神社のシダレアカシデ」樹勢回復調査報告書』、1頁。〕。日の出町教育委員会は、2011年(平成23年)に樹勢回復調査報告書を発行している〔。
== 由来 ==
幸神神社は、1335年(建武2年)の創建といわれる〔 日の出町役場ウェブサイト、2013年9月7日閲覧。〕〔幸神神社 東京都神社庁ウェブサイト、2013年9月7日閲覧。〕。山城国の出雲路幸神社を勧請して、「幸神大神」と称したといい、室町時代文安年間から戦国時代に入った永禄年間(1444年-1570年)の頃に社殿が再建され、明治2年(1869年)に「幸神神社」の名称となった〔。
参道への入り口付近の斜面に、1本のアカシデの木が生育している〔〔〔。アカシデを含むシデ類は、雑木林を構成する平凡な樹木である〔永瀬、87-88頁。〕。アカシデは高木に属し樹高が25メートルにも及ぶことがあるが、この木は著しい矮性を示し、丸い樹冠はお椀をかぶせたような形状である〔『「幸神神社のシダレアカシデ」樹勢回復調査報告書』、85-93頁。〕。
アカシデはカバノキ科クマシデ属の木で春の芽吹きの時期に赤色を呈すためこの名で呼ばれ、別名(地方名)を「シデノキ」、「ソロ」、「ソロノキ」、「コソネ」ともいう〔〔『「幸神神社のシダレアカシデ」樹勢回復調査報告書』、8頁。〕。この木は通常のアカシデとは異なり、太い枝も小枝も根元からよじれて螺旋状になっていてこんもりとした丸い樹冠を形作りながらも枝先が地面近くまでしだれた状態になり、樹形はよく整って春先の新芽の時期や秋の紅葉、冬枯れですっかり葉を落とした姿など、それぞれに見ごたえがある〔〔〔。この木が幸神神社の境内に植えられた経緯については、山城国から勧請された際に同時に移植されたという伝承と、付近の住民が明治時代に山中でしだれ性のアカシデの小木を発見して持ち帰り、境内に植えたという2つの説がある〔『「幸神神社のシダレアカシデ」樹勢回復調査報告書』、58頁。〕。
樹齢は推定で700年といわれ、これは山城国からの移植説に基づく〔〔『「幸神神社のシダレアカシデ」樹勢回復調査報告書』、14頁。〕〔『「幸神神社のシダレアカシデ」樹勢回復調査報告書』、86-87頁。〕。ただし、この説には明確な根拠がない上、アカシデなどのシデ類全体ではこのように長寿を保つ個体が見つかっていないため、700年という数値に疑問がもたれた〔。そのため日の出町の樹勢回復調査検討委員会は、天然記念物指定前の1939年(昭和14年)と、71年後の2010年(平成22年)に計測した目通り幹周と直径から肥大成長量と平均年輪幅を計算した〔樹勢回復調査検討委員会は、1939年(昭和14年)の調査と2010年(平成22年)の計測が同じ位置で行われたという確証がないため、若干の誤差があるものとしている。〕〔。1939年(昭和14年)の時点では、目通り幹周〔人間の目の高さ付近で測った樹木の幹まわりの寸法を指す。〕は135センチメートル(直径430ミリメートル)、71年後の2010年(平成22年)になると、目通り幹周は198センチメートル(直径630ミリメートル)に成長していた〔。樹木の場合は老齢の木より若い木の方が年輪幅が広いのが通常であるが、シダレアカシデの場合は成長速度が遅いことが想定された〔。また、この木の枯れた大枝の年輪などを調査したところ、年輪数は約150年と推定された。この大枝が分岐する高さまで成長する年数や分岐後に断面まで伸びるために必要な年数を足してみると、約180年の樹齢と推測された〔。以上を勘案して、樹勢回復調査検討委員会は報告書で樹齢を「180年-200年の間」であろうと記述している〔。
1939年(昭和14年)8月28日、大久野村役場(当時)は史蹟名勝天然紀念物保存法(当時)に基づいて「天然紀念物指定申請書」文部省宛てに提出した〔。その時の申請書では名称を「枝垂そろ」とし、「全国無二ノ名木ノミナラズ且枝垂トシテハ巨樹ナルヲ以テ有益ナル郷土教育資料タリト信ズ(後略)」という文面で、幸神神社の宮司と氏子の総代人5名の計6名が連名で提出していた〔。この申請に対して1942年(昭和17年)8月10日、東京府学務部長名での文書が回付され、「官報7月21日文部省告示第543号ヲ以テ文部大臣指定(後略)」と通知された〔〔。この文書には、「根元周囲一.七四メートル、樹高約四.五メートル、あかしでノ完全ナル枝垂トナレルモノニシテ姿態最モ優雅ナリ」との説明文が付されていた〔〔。
1939年(昭和14年)の申請時は、樹高約4.5メートル、根元周囲は約1.74メートルあり、根元から約0.9メートルの地点で3つの支幹に分岐してその直下の周囲は約1.35メートルを測った〔〔。枝張りは東に約2.70メートル、西に約2.00メートル、南に約2.60メートル、北に約2.40メートルあった〔〔。1984年(昭和59年)発行の『日本の天然記念物5 植物III』では、樹高5メートル、根周り約1.9メートル、目通りのこぶの部分は周囲2.1メートル、その下が約1.7メートル、椀状になった樹冠は径5メートルと4メートルと記載されていた〔。1990年(平成2年)12月の調査では、樹高約6メートル、枝張りは約7メートルであった〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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