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『幻想的ワルツ』()は、ミハイル・グリンカが1839年に作曲したワルツ。原曲はピアノ独奏曲であるが、現在では管弦楽曲として有名である。演奏時間は約7分。 == 概要 == 1839年当時、グリンカは妻であるマリヤ・ペトロヴナとの結婚生活が破綻し、オペラ『皇帝に捧げた命』の成功により任命された宮廷合唱団楽長の職も、上司である監督官アレクセイ・リヴォフ〔ロシア帝国国歌『神よツァーリを護り給え』の作曲者。〕との関係が円滑ではなく、仕事への情熱をも失い、自宅にほとんど戻らず親しい友人の家を泊まり歩いていた。この時、知り合ったのがエカチェリーナ・ケルン(、1818 - 1904)〔アレクサンドル・プーシキンに多大な影響を与えたアンナ・ケルン(、1800 - 1879)の娘。〕という若い女性で、グリンカは聡明な彼女に夢中になり、彼女のためにいくつかの作品を作っている。このワルツもそのうちの一つで、ピアノ曲『ワルツ』として発表され、エカチェリーナに献呈された〔ただし、出版の際の楽譜にはグリンカの義弟(妹の夫)への献辞が印刷されている。〕。 グリンカのピアノ演奏により評判になったこの曲は、ウィーンからサンクトペテルブルクにやって来て、指揮者として活躍していたドイツ人のヨーゼフ・ヘルマン(ゲルマン)が管弦楽に編曲し、パヴロフスク駅の演奏会で盛んに演奏したため、「パヴロフスクのワルツ」と呼ばれて有名になった〔この編曲版は『ワルツ・メランコリーク』という題名だったが、グリンカも絶賛していた。〕。 グリンカは、1844年にロシアを離れパリに向かったが、1845年4月10日にパリで行われた演奏会のために、この曲を自身で編曲し直し『ワルツ・スケルツォ』の題名で演奏している。 その後、ヘルマン編曲版もグリンカの最初の編曲版も失われてしまったため、グリンカは亡くなる前年の1856年に再度、管弦楽編曲を行い決定版とした。この版は1856年4月5日にサンクトペテルブルクで演奏されている。 後年、グラズノフやチャイコフスキーらが作曲したワルツの原点ともいうべき作品である。グラズノフは1913年にミハイル・レールモントフの戯曲『仮面舞踏会』の付随音楽を手掛けた際、幻想的ワルツを劇中で使用している〔アラム・ハチャトゥリアンの証言。 ユゼフォーヴィチp.82-83。〕。 セルゲイ・リャプノフによる四手連弾用の編曲も知られている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「幻想的ワルツ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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