翻訳と辞書
Words near each other
・ 幽玄洞
・ 幽玄漫玉日記
・ 幽王
・ 幽王 (周)
・ 幽王 (楚)
・ 幽界
・ 幽白
・ 幽皇后
・ 幽窓
・ 幽精 (クルアーン)
幽繆王
・ 幽芳集 乳姉妹
・ 幽芳集 月魄
・ 幽谷
・ 幽谷響
・ 幽谷響子
・ 幽趣
・ 幽遊
・ 幽遊白書
・ 幽遊白書 FOREVER


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

幽繆王 : ウィキペディア日本語版
幽繆王[ゆうぼくおう]
幽繆王(ゆうぼくおう、生没年不明、在位紀元前236年紀元前228年)は、中国戦国時代の第10代君主。王としては第4代。悼襄王の子。
幽繆王の2年、軍は平陽(現:河北省臨漳県西部)と武城(現:山東省武城県西部)を奪い、武遂では趙の将軍扈輒を討ち、10万の首級を挙げた。幽繆王は李牧を大将軍に任じて反撃に転じ、秦軍を宜安(現:河北省石家荘市南東部)で破り、秦の将軍桓齮は敗走した。この功により、幽繆王は李牧を武安君に封じた。
その後も李牧は司馬尚司馬卭の父)とともにたびたび秦軍を撃破した。秦は李牧を排除すべく、趙の臣郭開に多額の賄賂を贈って、李牧と司馬尚が謀反を企んでいると幽繆王に讒言させた。幽繆王はこれを信じて、李牧を誅殺し、司馬尚は逃亡して更迭された。
前228年、秦の将軍王翦は趙軍を破り、都の邯鄲を陥落させた。幽繆王は秦軍に投降し、房陵に流された。こうして趙は滅亡したが、趙の公子嘉(幽繆王の異母兄)は(現:河北省蔚県)に逃れ、そこで自立して王を名乗った(代王嘉)。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「幽繆王」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.