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幽繆王[ゆうぼくおう] 幽繆王(ゆうぼくおう、生没年不明、在位紀元前236年 – 紀元前228年)は、中国戦国時代の趙の第10代君主。王としては第4代。姓は赢、氏は趙、諱は遷。悼襄王の子。 幽繆王の2年、秦軍は平陽(現:河北省臨漳県西部)と武城(現:山東省武城県西部)を奪い、武遂では趙の将軍扈輒を討ち、10万の首級を挙げた。幽繆王は李牧を大将軍に任じて反撃に転じ、秦軍を宜安(現:河北省石家荘市南東部)で破り、秦の将軍桓齮は敗走した。この功により、幽繆王は李牧を武安君に封じた。 その後も李牧は司馬尚(司馬卭の父)とともにたびたび秦軍を撃破した。秦は李牧を排除すべく、趙の臣郭開に多額の賄賂を贈って、李牧と司馬尚が謀反を企んでいると幽繆王に讒言させた。幽繆王はこれを信じて、李牧を誅殺し、司馬尚は逃亡して更迭された。 前228年、秦の将軍王翦は趙軍を破り、都の邯鄲を陥落させた。幽繆王は秦軍に投降し、房陵に流された。こうして趙は滅亡したが、趙の公子嘉(幽繆王の異母兄)は代(現:河北省蔚県)に逃れ、そこで自立して王を名乗った(代王嘉)。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「幽繆王」の詳細全文を読む
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