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広九直通列車(こうきゅうちょくつうれっしゃ)または広九直通車()、港穂直通車()とは、香港九龍紅磡駅(九龍駅)と中華人民共和国広東省広州市天河区広州東駅及び肇慶市を結ぶ優等列車である。香港内では香港MTR東鉄線を経由し、中国本土に入ってからは広深線を経由して運行される。なお、1日1往復のみ広州東駅から広州駅を経由してに直通し、肇慶駅まで運行される。 (2015年10月)現在、広九直通列車は毎日12往復(24本)運行され、そのうち10往復は途中東莞市常平駅に停車し、肇慶発着列車は仏山駅にも停車する。 == 歴史 == === 運行開始初期 === 1907年、イギリスの植民地であった香港と広東省広州を結ぶ九広鉄路の建設が開始された。九広鉄路の建設はイギリス側(九広鉄路英段)と清国側(九広鉄路華段)で別々に行われ、1910年10月1日に香港区間(東鉄線)が開通し、1911年10月8日には清国区間(広深線)も開通して直通運転が開始された。開通時、広九直通列車は港穂直通車と呼称され、広州市内のから、、常平駅、樟木頭駅、深圳駅を経由して香港のまで運行された。運行距離は178.55kmである。 運行開始当初のダイヤは1日2往復で、九龍~広州間の所要時間は優等列車が約2時間55分、普通列車が7時間であった。座席等級はファーストクラスとセカンドクラスで、価格はそれぞれ5.4銀元及び2.7銀元であった。1936年から1937年の間には、香港のは豪華直通列車の運行を開始した。豪華直通列車には、食堂車や展望車が設置された2輛の気動車が用いられ、それぞれ広州淑女(Canton Belle)号、大埔淑女(Taipo Belle)号と命名され、1936年10月14日、大埔淑女号は九龍~広州間を無停車で2時間15分で走破した〔九廣鐵路(英段)車隊介紹(繁体字中国語) 〕。 日中戦争中の1938年10月、日本軍によるの結果、九広鉄路は破壊され、広九直通列車の運行は縮小された。1941年12月には香港の戦いが勃発し、九広鉄路沿線すべてが日本軍の占領下となり、広九直通列車の運行は完全に停止された。その後1945年8月に日本が降伏するまで、九広鉄路は軍用として用いられた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「広九直通列車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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