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広島電鉄2500形電車 : ミニ英和和英辞書
広島電鉄2500形電車[ひろしまでんてつ2500がたでんしゃ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しま]
 【名詞】 1. island 
電鉄 : [でんてつ]
 【名詞】 1. electric railway 
: [てつ]
 【名詞】 1. iron 
: [けい, かたち, ぎょう]
  1. (suf) shape 2. form 3. type
電車 : [でんしゃ]
 【名詞】 1. electric train 
: [くるま]
 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel 

広島電鉄2500形電車 : ウィキペディア日本語版
広島電鉄2500形電車[ひろしまでんてつ2500がたでんしゃ]

広島電鉄2500形電車(ひろしまでんてつ2500がたでんしゃ)は、広島電鉄が市内線(軌道線)から宮島線(鉄道線)への直通運転用車両として、1961年昭和36年)から1967年(昭和41年)にかけて導入した2車体連接構造電車路面電車車両)である〔「広島電鉄宮島線直通電車運転史 (前編)」(1994) p.67〕〔「広島電鉄宮島線直通電車運転史 (前編)」(1994) p.70〕。
2500形には純然たる新車として導入された車両と〔、他事業者より譲り受けた中古車両を改造して導入した車両が存在し〔、前者については後年3車体連接構造化ならびに冷房装置の搭載など各種改造が実施され、3100形と形式区分された〔「広島電鉄宮島線直通電車運転史 (後編)」(1994) p.99〕。
本項では、2500形ならびに同形式を改造して導入された3100形の両形式について詳述する。
== 導入に至る背景 ==
宮島線の車両近代化、および宮島線と市内線との直通運転を目的として1960年(昭和35年)より導入された2000形電車〔は、同形式に先行して直通運転用車両として1958年(昭和33年)に新製された850形電車(現・350形)を設計の基本としつつ、専用軌道線である宮島線において必要とされる高速性能と、併用軌道区間が大半を占める市内線において必要とされる高い加減速性能の両面を充足させた高性能車両であった〔。しかし、2000形の車体構造は850形と同様に、従前の市内線用車両と同一の、単車(1両編成)運転を原則とした純然たる路面電車車両そのものであり〔、1両当たりの車両定員も80人程度と、当時宮島線に在籍した旧型の鉄道線用車両を代替するにあたっては輸送力不足が懸念された〔。
そのため、2000形の走行性能はそのままに、より輸送力の高い車両の導入が求められたことから〔、2000形を設計の基本としつつ、車体を2車体3台車構造の連接仕様に設計変更して1編成当たりの車両定員を130人に増加させた2500形が、翌1961年(昭和36年)から1964年(昭和38年)にかけて5編成10両新製された〔。広島電鉄における連接車の導入例は、宮島線所属の1040形電車2両を1957年(昭和32年)に2車体3台車構造の連接車へ改造した前例が存在するが〔「広島鉄道宮島線」(1965) p.80〕、当初より連接車として設計・製造された車両は2500形が最初であった〔「広島鉄道市内線」(1962) p.70〕。車両番号(以下「車番」)は前記1040形における車番付与基準に倣って、2501-2502(第1編成)から2509-2510(第5編成)といった具合に編成単位ではなく車体単位で車番が付与された〔。
なお、1961年(昭和36年)に落成した2501 - 2504の2編成4両はナニワ工機(現・アルナ車両)において新製されたが〔、翌1962年(昭和37年)以降に落成した2505 - 2510の3編成6両は導入コスト削減を目的として広島電鉄自社工場において新製され〔、両者は細部に相違点を有した〔。
しかし、2500形増備の同時期には広島市の都市交通計画が策定され、その中に市内線の己斐(現・広電西広島) - 広島駅間に並行する形で地下鉄路線を建設する構想が盛り込まれた〔。当時の広島電鉄はモータリゼーションの発展による乗合バスへの利用客移転や交通量の爆発的増加による市内線全線における恒常的なダイヤ乱れ発生など、経営的に困難な状況に直面していた〔。さらに地下鉄建設計画が具体化した場合、路線の存続危機に直結することから、そのような将来展望が不透明な状況において車両の新製を実施することは得策ではないと判断され〔、2500形の増備は5編成10両で打ち切られた〔。
一方で宮島線に在籍する木造車体の旧型車の老朽化は限界を迎えつつあり、また宮島線から市内線への直通需要も増加の一途を辿ったことから〔、直通運転用車両の不足を補うため1966年(昭和41年)に大阪市交通局大阪市電)より同局1601形電車を4両譲り受け、大阪車輌工業において2車体3台車構造の連接車2編成に大改造して2500形へ編入、2511 - 2514として導入した〔。改造に際しては台車を除く主要機器を2501 - 2510と同一のものへ全面的に換装し性能面では統一を図ったものの〔、車体は連接化改造を除けば大阪市電1601形の原形を保った形態であったことから、同一形式ながら外観は全く異なるものとなった〔。また、同4両はいずれも譲渡名義ではなく新製名義で落成した〔。
上記経緯を経て計7編成14両の陣容となった2500形は、後年3車体連接構造が直通運転用車両における主流となったことに伴って、1985年(昭和60年)より輸送力増強を目的として2501 - 2510の新製車グループを対象に3車体4台車構造へ改造することとなり〔、改造後の同グループは3100形と形式区分された〔。なお、改造対象から外れた車体流用車グループの2511 - 2514は1985年(昭和60年)までに全車廃車となったため2500形は形式消滅し、現存する車両は全て3100形の形式称号が付与されている〔「シリーズ 路面電車を訪ねて20 広島電鉄 Part2」(1989) p.109〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「広島電鉄2500形電車」の詳細全文を読む




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