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広汽本田汽車有限公司(こうきほんだきしゃゆうげんこうし、グァンチーほんだきしゃゆうげんこうし、簡体字:广汽本田汽车有限公司、英字:Guangqi Honda Automobile Co., Ltd.、通称:広汽ホンダ)は、本田技研工業が広汽集団との合弁で設立した中国で四輪自動車の製造と販売を行う会社である。 == 沿革 == * 1998年5月7日 - 広州ガーデンホテルにて広州汽車集団と本田技研工業との合弁契約文書の調印式が行われる。広汽集団は元々プジョーと合弁事業(広州標致汽車公司)を行っていたが、1997年3月にプジョーが資本を引き上げて撤退したため、新たな合弁パートナーを探していた。 * 1998年7月1日 - 「広州本田汽車有限公司」が正式に設立。 * 1998年10月27日 - アコード(雅閣)のテスト生産を開始。 * 1998年3月26日 - アコードのラインオフ式が行われ、量産を開始。 * 2001年12月20日 - アコードの年間生産台数が5万台を突破。 * 2002年3月1日 - アコードの累計生産台数が10万台を突破。 * 2002年4月10日 - オデッセイ(奥徳賽)の生産を開始。 * 2003年4月21日 - 第10回上海モーターショーにてフィット(飛度)サルーンを発表。 * 2003年6月27日 - 累計生産台数が20万台を突破。 * 2003年9月28日 - フィットサルーンの発売を開始。 * 2004年2月8日 - 黄埔工場の生産能力を年24万台に増強。 * 2004年3月31日 - 累計生産台数が30万台を突破。 * 2004年9月22日 - フィット(飛度)ハッチバックを発売開始。発表会は北京、上海、広州、成都、杭州、瀋陽、済南の7都市で同時開催された。 * 2004年11月9日 - 広州市増城区に第二工場を建設すると発表、21日に起工式が行われた。 * 2005年2月28日 - 累計生産台数が50万台を突破。 * 2006年4月8日 - フィットサルーンを一部改良し、シティ(思迪)として発売開始。 * 2006年9月19日 - 第二工場(増城工場)の稼動を開始。 * 2007年2月10日 - 累計生産台数が100万台を突破。 * 2007年7月19日 - 広州本田汽車研究開発有限公司 (GHRD) を設立。 * 2008年4月20日 - 第10回北京モーターショーにて自主ブランド「理念」の創設を発表。 * 2008年12月12日 - 広州天河スポーツセンターにて創立十周年記念式典を開催。この式典において新型シティ(鋒範)を発表。 * 2009年4月20日 - 上海モーターショーにおいて「広州本田汽車有限公司」から「広汽本田汽車有限公司」への社名変更を発表(6月5日付で正式に変更)。 * 2009年11月23日 - アコードの累計販売台数が100万台を突破。 * 2010年3月1日 - 累計生産台数が200万台を突破。 * 2010年5月25日 - 増城工場の生産能力を年12万台から24万台に倍増する計画を発表。 * 2010年10月30日 - クロスツアー(歌詩図)を発売開始。 * 2010年12月20日 - 第8回広州国際モーターショーにて理念・S1を発表〔。 * 2011年4月17日 - 理念・S1の発売を開始〔。 * 2011年末 - 増城工場の拡張が完了。 * 2013年4月20日 - 上海モーターショーにてクライダー(凌派)を発表。 * 2013年5月28日 - 増城工場の敷地内に新たに完成車の第3生産ラインおよびエンジン工場を着工。 * 2013年7月18日 - 広汽集団とホンダがアキュラ事業で基本合意した。2016年に広汽ホンダでアキュラ車の生産を開始することを目標とする。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「広汽本田汽車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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