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広瀬 勝貞(ひろせ かつさだ、1942年6月25日 - )は、日本の通産・経産官僚、政治家。大分県知事(民選第15・16・17・18代)。 中央省庁再編時に通商産業省で事務次官を務めており、最後の通商産業事務次官かつ初代経済産業事務次官であった。 父は日田市長、郵政大臣を歴任した広瀬正雄。 == 来歴 == 大分県日田市生まれ。麻布高等学校、東京大学法学部卒業。1966年、通商産業省に入省。石炭局、貿易局、大臣官房秘書課を経て、1976年より外務省に出向し、在スペイン日本大使館に赴任。帰国後は本省勤務の他、中小企業庁や資源エネルギー庁への出向も経験する。1991年、宮澤喜一内閣総理大臣の秘書官に就任。宮澤の退陣後は通産省へ戻り、貿易局長、大臣官房長、機械情報産業局長を経て、1999年9月より通商産業事務次官に就任。2001年の中央省庁再編に伴い、初代経済産業事務次官に就任した。2002年2月に退官〔広瀬勝貞後援会 プロフィール 〕。 2003年、通産省時代の先輩にあたり、1979年から6期24年にわたり大分県知事を務めていた平松守彦から後継指名を受け、大分県知事選挙に無所属(自民・公明・保守3党推薦)で出馬。当初、現職の平松知事の後継指名に加え、地元経済界や業界団体の支援も受けていたため圧勝が予想されていたが、「無党派」を標榜し平松県政からの転換を訴えた吉良州司(のち民主党衆議院議員)の猛追を受けて苦戦を強いられ、3万票弱の僅差で吉良を振り切って初当選した。2007年、2011年の大分県知事選では日本共産党以外の政党は候補者を擁立せず、広瀬自身も表立って政党の支援は受けず、対立候補に大差をつけて再選された。 2014年11月17日、記者会見で翌年の大分県知事選に4選を目指して出馬する意向を表明〔平成26年11月17日知事定例会見 - 大分県ホームページ 〕。翌年1月、大分市長の釘宮磐が広瀬の4選阻止、「平松前知事の時代から36年続いた官僚出身知事のトップダウン政治からの転換」を掲げて知事選への出馬を表明した。自民・公明両党の支援を受ける広瀬に対し、釘宮はかつて国会議員時代に所属していた民主党の支援を受けたが、社会民主党名誉党首で大分1区が地盤だった村山富市元首相や連合傘下の労働組合の一部は「県民党」を掲げる広瀬を支持したため、反自民層の支持は分裂した。知事選には広瀬、釘宮を含む5人が立候補したが、与党や地元経済界、業界団体の支援を受ける広瀬が終始、優位な戦いを進め、次点の釘宮に約16万票の大差をつけて圧勝。釘宮は市長を務めていた大分市でも得票数が広瀬を下回る大敗を喫した。また知事選の同日に実施された、釘宮の辞職に伴う大分市長選挙においては、自民・公明が擁立し、広瀬も支持した元中小企業庁次長の佐藤樹一郎が、元大分大学教授で民主党が支援する椋野美智子を破って当選し、県・市のトップをいずれも自民系の候補が占めた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「広瀬勝貞」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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