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広瀬 章人(ひろせ あきひと、1987年1月18日 - ) は、将棋棋士。勝浦修九段門下。棋士番号は255。東京都江東区出身。王位1期。 == 棋歴 == 父と兄の影響から4歳ごろから将棋に興味を持ち〔早稲田大学ぴーぷる 〕、小学3年から6年の4年間は、父の転勤により札幌市に在住し、将棋クラブに通い力をつける〔北海道新聞 2010年6月12日〕。 小学生将棋名人戦では東日本大会に札幌市立澄川小学校4年生から連続して出場し、4年時は1勝を挙げるも同じ北海道代表で後奨励会員となる相手に敗れる〔週刊将棋 1995年4月5日号〕。 5年時は、初戦で東日本3位となり後に高校将棋選手権優勝などの活躍をする相手に敗れた〔週刊将棋 1996年4月10日号〕。6年時は東日本大会ベスト12に進出したが戸辺誠に敗れた〔平成10年版「将棋年鑑」(日本将棋連盟)pp.436〕。小学6年時に、奨励会入りし、当初は飛行機に乗って将棋会館まで通ったという〔産経新聞 2010年10月3日 〕。その後東京成徳高校高校1年で三段リーグ入り。高校の卒業式の翌日、2004年度後期の三段リーグ最終日に15勝3敗の成績で1位となり、2005年4月に早稲田大学入学と同時にプロ入り〔東京成徳大学学生支援課Blog 〕〔。奨励会では戸籍名である旧字体の廣瀬であったが、入段と同時に新字体の広瀬を用いている〔第35回奨励会三段リーグ 〕。 糸谷哲郎、佐藤天彦、高崎一生、先述戸辺の4名は、広瀬と同じく1987年前後に生まれ、1998年に奨励会に入会したライバルであるが、広瀬はこの中では最も早く順位戦昇級に伴い五段に昇段した〔2007年4月1日付昇段・昇級者(日本将棋連盟) 〕。初参加から2期目の第65期・2006年度のC級2組リーグで片上大輔に次ぐ2位の成績を収め〔第65期名人戦・順位戦 C級2組(日本将棋連盟) 〕〔この時点で、佐藤・戸辺は2006年度前期三段リーグでプロ入りを決めたばかりだったため、順位戦に参加しておらず、翌第66期・2007年度に広瀬と入れ違いでC級2組リーグに初参加となった。〕、翌年度(第66期・2007年度)のC級1組リーグでもトップを走る快進撃を見せたが、最後の2局で連敗してしまい〔第66期名人戦・順位戦 C級1組(日本将棋連盟) 〕〔敗北を喫した対局相手は、いずれも降級点取得の危機に瀕していた小倉久史・西川慶二であった。最終的に小倉は降級点を喫したものの、西川は広瀬に勝ったことで降級点を回避した。〕、2期連続での昇級を逃した。その翌年度(第67期・2008年度)も、自力昇級が見込める状態(2番手)で迎えた最終局で、休場明けの宮田敦史に敗れ、もう一人の昇級候補者であった窪田義行が勝ったことにより、再び昇級を逃した〔第67期名人戦・順位戦 C級1組(日本将棋連盟) 〕。しかしながら、翌々年度(第69期・2010年度)に、9勝1敗・1位の成績を収め、最初の昇級から4年でB級2組への昇級を遂げた〔第69期名人戦・順位戦 C級1組(日本将棋連盟) 〕〔ちなみに最終局の対局相手は3年前に昇級を阻止された西川であり、西川はこの黒星によりC級1組で2個目の降級点を喫し、C級2組への降級が決定した。〕。 第58回(2008年度)NHK杯戦で、元タイトルホルダーの2名(高橋道雄、丸山忠久)と阿久津主税に勝ち、ベスト8進出〔第58回NHK杯戦 <本 戦>(日本将棋連盟) 〕。 第35期(2009年度)棋王戦で本戦出場〔第35期棋王戦予選(日本将棋連盟) 〕。 第40期(2009年度)新人王戦の決勝三番勝負で、早稲田大学の後輩・中村太地を2勝0敗で破り、棋戦初優勝(2009年10月13日)〔第40期 新人王戦(日本将棋連盟) 〕。第22期(2009年度)竜王戦では、6組5位決定戦(1組在籍の中原誠十六世名人引退に伴う欠員補充、2009年10月30日)で大野八一雄に勝ち、5組昇級〔第22期竜王戦 6組ランキング戦(日本将棋連盟) 〕(竜王戦初昇級)。 第51期(2010年度)王位戦では、予選から勝ち進みリーグ入り〔第51期王位戦<予選>(日本将棋連盟) 〕。リーグ戦(紅組)では最終局で渡辺明竜王との3勝1敗同士での決戦で勝利。さらに挑戦者決定戦では、白組優勝の羽生善治名人を破り、タイトル初挑戦〔第51期王位戦七番勝負(日本将棋連盟) 〕(六段昇段〔広瀬章人五段が六段に昇段(日本将棋連盟) 〕)。深浦康市王位との七番勝負〔第51期王位戦七番勝負(日本将棋連盟) 〕においては得意戦法の四間飛車穴熊を多用し、4勝2敗2千日手で奪取に成功(2010年9月2日)。23歳にして初タイトル・王位を獲得した(七段昇段〔広瀬章人六段が七段に昇段(日本将棋連盟) 〕)。大学生のタイトル獲得は史上初である(当時4年生・在学6年目)。 なお、同年度、第36期棋王戦でも、挑戦者決定二番勝負まで無敗で進出し、広瀬に一度敗れた後に敗者組から勝ち上がってきた渡辺明と戦う。結果は広瀬の2連敗で、挑戦権を逸する〔第36期棋王戦挑戦者決定トーナメント/五番勝負(日本将棋連盟) 〕。戦法は、広瀬が3局中2局で四間飛車穴熊、渡辺は3局とも居飛車穴熊であった。王位戦の第6局(最終局)は、第38回将棋大賞の名局賞に選ばれ、また、敢闘賞も受賞した〔第38回将棋大賞が決まる!(日本将棋連盟) 〕。 第23期(2010年度)竜王戦5組昇級者決定戦(3位決定戦)で勝ち〔第23期竜王戦 5組ランキング戦(日本将棋連盟) 〕、さらに、第24期(2011年度)竜王戦4組では準優勝(優勝は佐藤秀司)し〔第24期竜王戦 4組ランキング戦(日本将棋連盟) 〕、3期連続昇級で3組へ昇級。 第52期(2011年度)王位戦は、羽生善治二冠(王座・棋聖)の挑戦を受ける。第1局・第2局と勝つも、第3局・第4局と落とし第5局に勝ち、初防衛に王手をかける。第6局目を落とし、第7局目(9月12日9月13日、第6局と同じ神奈川県秦野市の陣屋)を迎えることとなったが、敗れて失冠した〔第52期王位戦七番勝負(日本将棋連盟) 〕。第5回朝日杯将棋オープン戦は、決勝で、羽生二冠に敗れ、準優勝となる〔第5回朝日杯将棋オープン戦<本戦トーナメント>(日本将棋連盟) 〕。第70期順位戦において、9勝0敗となり、最終局を残してB級1組への昇級を決める(最終成績は10勝0敗で1位)〔第70期名人戦・順位戦 B級2組(日本将棋連盟) 〕。そして2014年2月13日、第72期順位戦B級1組12回戦(自身11戦目)で丸山忠久を破り、9勝2敗として2位以内が確定しA級昇級を決める。これにより、同日付けで八段に昇段した。初めてA級に加わった第73期順位戦A級では、渡辺明、久保利明、行方尚史とともに6勝3敗で並び、プレーオフに進出したが、久保に敗れ、名人への挑戦権を得られなかった。第56期(2015年度)王位戦では、羽生善治王位への挑戦権を得たが、1勝4敗で敗れた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「広瀬章人」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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