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広瀬臺山 : ミニ英和和英辞書
広瀬臺山[ひろせ たいざん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [せ]
 【名詞】 1. current 2. torrent 3. rapids 4. shallows 5. shoal 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 

広瀬臺山 : ウィキペディア日本語版
広瀬臺山[ひろせ たいざん]

広瀬 臺山(ひろせ たいざん、宝暦元年(1751年) - 文化10年10月13日1813年11月5日))は江戸時代中期後期の文人画家
初名を惟馨としたが家臣となって藩主の号〔津山藩主松平康哉落款印章は「知卿」・「徳馨」を用いている。「津山温知会誌」〕に近いことを避けて清風に改める。同じくも徳卿から穆甫とした〔「広瀬家系譜」(栗原直著『広瀬臺山』三樹書房)〕。通称を周蔵・雲大夫。臺山は、別号に白雲窩・書画斎など。津山藩藩士。大坂に生まれる。
==略伝==

美作津山藩藩士広瀬義平の長男。大坂蔵屋敷で生まれた。大坂では池大雅の高弟・福原五岳に就いて画技を学ぶ。安永4年(1775年)、25歳の時父を連れ立って津山に帰藩。このとき師・五岳より「画石三面法図」を贈られている。
同8年(1779年)29歳で家督を相続し、翌年9月、京都御留守居見習となり京都に上った。天明元年(1781年)4月、31歳のとき江戸詰を命じられる。寛政3年(1791年)、雲大夫と改称。享和3年(1803年)53歳のとき、病気を理由に致仕し、藩邸から離れた麻布長坂に棲み、画作に励んだ。文化8年(1811年)9月、61歳で故郷津山に戻り、しばらく上原家に仮託するが、12月に新田村に居宅を構えた。画作を続けたが、文化10年(1813年)10月、63歳にて病没。
臺山は、松平楽翁上杉鷹山増山雪斎ら諸大名や雲室片桐蘭石松崎慊堂谷文晁木村蒹葭堂など名だたる文人と交友した。
津山に帰ったわずかの間であったが門弟・飯塚竹斎に画技を伝えている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「広瀬臺山」の詳細全文を読む




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