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『広雅』(こうが)は、三国時代の魏の張揖(ちょうゆう)によって編纂された辞典。『爾雅』の増補版にあたる。 隋の時代に煬帝の名の「広」を避諱して『博雅』と改題されたが、後に『広雅』に戻った。 == 成立 == 張揖は字を稚譲といい、魏の太和年間に博士であった〔顔師古『漢書叙例』「張揖字稚譲、清河人(一云河間人)。魏太和中為博士。止解司馬相如伝一巻。」〕。 『広雅』は張揖が博士であったときに作られた。張揖の上表文によれば、『爾雅』に集められた訓詁が充分でないので、それを増補したものが『広雅』である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「広雅」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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