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庄司和広(しょうじ かずひろ、1974年4月26日 - )は、日本の元男子プロバスケットボール選手である。元日本代表選手。ポジションはスモールフォワード。サウスポーのシューター。身長191cm・体重92kg。埼玉県北葛飾郡杉戸町出身。 == 来歴 == 中学1年生の時、バスケットボールを始める。その後、北陸高校から拓殖大学に進学。在学中の1996年にはヤングメンアジア選手権に出場する全日本のメンバーとなる。 卒業後の1997年には住友金属工業に入社したが、バスケットボール部が廃部になったため、翌1998年トヨタ自動車に移籍。 1999年、大和証券に移籍。新潟アルビレックスでもプレーを続け、日本リーグMVPとベスト5を2年連続受賞、2001-02シーズンはスティール及びフリースロー成功率のタイトルも獲得。スーパーリーグ昇格後も2003-04シーズンにはオールスターでもMVPを獲得。全日本にも選ばれ続ける。さいたまスーパーアリーナの杮落しとなったスーパードリームゲーム2000にも出場。 2005年、新潟のJBL脱退によりスーパーリーグでのプレーを求め、新規参入した福岡レッドファルコンズに移籍。主将を務めた。 しかし、シーズン終了を待たずチームが消滅したため、2006年2月にbjリーグのアーリーチャレンジ制度を利用し地元の埼玉ブロンコスに移籍〔新契約選手のお知らせ・埼玉 〕。シーズン終了後、埼玉と再契約。2006-07シーズン、3ポイントシュート成功率44.4%(67/151)を記録し、3ポイント王を受賞。bjリーグの2008-2009シーズンのオールスターゲームにも出場した。 2009年オフにFA権を行使して高松ファイブアローズへ移籍〔【ニュースリリース】 選手契約 基本合意(新規)のお知らせ 高松ファイブアローズ公式サイト2009年6月29日〕。主将に就任し、開幕時に日本人ロスターしか居なかったチーム(bjリーグ史上初)を支えた〔新生高松、走力勝負 四国新聞2009年10月3日〕。長身外国人が足りないチーム事情のため、センターなど不慣れなポジションも務めた。 2010年オフ、bjリーグに新規参入する秋田ノーザンハピネッツに移籍する〔高松ファイブアローズ選手仮保有権トレードのお知らせ 高松ファイブアローズ〕〔庄司和広選手★仮保有権トレード及び基本合意のお知らせ 秋田ノーザンハピネッツ〕。2011-12シーズン、10月29・30日開催の仙台戦では、2試合で3Pシュートを13本中9本の高確率で決めて週間MVPを初受賞〔「ローソン“Ponta” 週間MVP庄司和広選手決定のお知らせ 〕。2012年1月、ブースター投票により選出され、オールスターゲームに出場。bjリーグ移籍後初めて、レギュラーシーズン全52試合でスターターとして出場。2012-13シーズン終了後に現役を引退。 2013-14シーズンから2シーズン、平岡富士貴ヘッドコーチ体制の新潟アルビレックスBBでアシスタントコーチを務めた〔庄司和広アシスタントコーチ 契約締結のお知らせ 新潟アルビレックスBB2013年6月10日〕。 新潟退団後は一般企業に就職していたが、2016年1月に北陸高校時代の監督である津田洋道がヘッドコーチを務める高松ファイブアローズのアシスタントコーチに就任〔庄司和広アシスタントコーチ就任のお知らせ 高松ファイブアローズ 2016年01月19日〕。 2度のチーム廃部(住友金属、大和証券)と、1度のチーム消滅(福岡レッドファルコンズ)を味わった選手である。計8チームを渡り歩いている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「庄司和広」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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