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庄司廉[しょうじ れん]
庄司 廉(しょうじ れん、明治20年(1887年)4月17日 - 昭和35年(1960年)8月10日)は、日本の実業家、政治家。山陰日日新聞社、米子銀行、米子博愛病院等の取締役。渡村村長(第5代)、渡村会議員、渡村学務委員。鳥取県多額納税者〔『人事興信録. 第8版』(昭和3年)シ九五〕。大地主〔『米子商業史』118頁〕。世人をして“庄司の殿様”といわしめた〔『境港市史 上巻』昭和61年、517頁〕。 女優・司葉子は姪。奥出雲の山林大地主・23代田部長右衛門(元島根県知事)はいとこ。 == 経歴 == 鳥取県西伯郡渡村(現在の境港市渡町)に生まれる。父・昇造の死により8歳で富豪「本庄司家」を継ぎ、杉山永真(のちの郡会議長)を養育係として成長した。 木下二介、門脇春翠の資質を見て絵の修行をさせたり、私財をもって山陰初の繭市場を開設する等非凡にして識見高く、先見の明があって、事に臨んでは果断と実行の人だった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「庄司廉」の詳細全文を読む
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