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庄弘方[しょう ひろかた] 庄 弘方(しょう ひろかた、生没年不詳)は、平安時代末期から鎌倉時代の武蔵国児玉党(現在の埼玉県本庄市栗崎出身)の武士。児玉党の本宗家4代目である庄太夫家弘の五男(末子)。通称を五郎。 ==武歴== 庄五郎弘方は、三郎忠家や四郎高家など他の兄弟と共に源氏方に属し、各戦に参戦した児玉党の武士である。『源平盛衰記』によれば、宇治川の戦い(1184年)において、「宇治川の先陣争い」で、先陣(佐々木高綱や梶原景季)に続いて川を渡った事が記されており、武勇人として知られている。そのまま源範頼軍に従い、一ノ谷の戦いにも参戦した。『吾妻鏡』によれば、承久3年(1221年)に起きた承久の乱において、北条泰時(鎌倉幕府)軍に従い、山城国の宇治橋合戦で、庄四郎と共に敵を一人ずつ生け捕る功績を上げるが、この戦で兄の一人である三郎忠家が戦死している。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「庄弘方」の詳細全文を読む
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