|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 底 : [そこ, てい] 【名詞】 1. bottom 2. sole ・ 倉 : [そう] 【名詞】 1. warehouse 2. cellar 3. magazine 4. granary 5. godown 6. depository 7. treasury 8. elevator ・ 温泉 : [おんせん] 【名詞】 1. spa 2. hot spring 3. onsen
底倉温泉(そこくらおんせん)は、神奈川県足柄下郡箱根町(旧相模国)にある温泉。宮ノ下温泉の西隣に位置し、八千代橋から蛇骨川に沿った深い谷にある蛇骨湧泉群を源泉とする。中世の昔から隠れ湯として知られ、江戸時代より痔疾などに効能がある〔『箱根熱海温泉道案内』橋爪貫一, 1877〕名湯として箱根七湯のひとつに数えられた。昭和の頃までは3軒ほどの温泉宿があったが、2014年現在は1軒だけである。 == 歴史 == 江戸時代後期に書かれた『底倉記』によると、脇屋義助の孫・新田義則(義隆とも)が南朝再興のため挙兵し敗れた際に、底倉の木賀彦六左衛門を頼って潜伏中、応永10年(1403年)に打ち取られたとあり、当時より温泉があったことが伝えられている〔箱根町観光協会サイト「箱根全山」〕〔箱根温泉旅館協同組合サイト「箱ぴた」〕。『相州文書』によると、天文14年(1545年)には、湯治中に村人を使役に使うことを禁じるお触れ(湯治禁制)が後北条氏より出されている〔箱根温泉旅館協同組合サイト「箱ぴた」〕。また、天正18年(1590年)の秀吉の小田原攻めの際には夜営地となり、伊達政宗が幽閉されたと言われている〔箱根温泉旅館協同組合サイト「箱ぴた」〕〔『箱根山』日本名勝研究会,1927〕。 文化年間1812年の『箱根七湯の枝折』には、蛇骨沢湧泉群では沸騰点に近い弱食塩泉が大量に湧出し、口に含むと塩気がするとある〔箱根温泉旅館協同組合サイト「箱ぴた」〕。天保13年(1842年)の「箱根七湯図」には、湯宿として、 萬屋(孫左衛門)、梅屋(又左衛門)、蔦屋(平左衛門)、仙石屋(丈助)の4軒が挙げられている〔箱根温泉旅館協同組合サイト「箱ぴた」〕。宿は蛇骨川に沿って八千代橋方向から萬屋、梅屋、蔦屋、仙石屋と並び、1881年(明治14年)の大火以前はいずれも茅葺だった。 1893年(明治26年)に再び大火に見舞われたが、梅屋、蔦屋、仙石屋の3軒が復興し、いずれも湯滝、高楼付きの建物に建てなおした〔『箱根温泉案内』森田富太郎 (箱根温泉宿組合事務所, 1897) 〕。しかし、関東大震災により、3軒とも倒壊した〔『震災五十八景』関露香 (番町書院, 1924) 〕。その後再建され、第二次大戦中は疎開先として使われた。戦後、蔦屋、梅屋、仙石屋が営業を再開したが、その後いずれも閉館した(蔦屋は2006年に別の経営者によって「つたや」として屋号が引き継がれた)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「底倉温泉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|