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府川充男 : ミニ英和和英辞書
府川充男[ふかわ みつお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [おとこ]
 【名詞】 1. man 

府川充男 : ウィキペディア日本語版
府川充男[ふかわ みつお]
府川 充男(ふかわ みつお、1951年2月23日 - )は日本の印刷史研究者、タイポグラファー。『印刷史研究』(印刷史研究会)編輯委員。
== 来歴 ==
横浜市に生まれる。高卒(早稲田大学教育学部教育学科教育学専攻抹籍)。
1970年代中葉に雑誌編集者となり、校正、割付、デザイン、広告営業、書店営業も手掛けるようになった。当時は写研の黄金時代だが既製の写植書体にあきたらず、版面設計の材料をふやす目的で、活字の清刷などを基にした仮名文字盤を自作し始める。1980年代に制作された築地体秀英体を中心とする、活字書体によるおのおの一点ものの仮名文字盤は数十種類に及ぶ。活字書体の探求が近代印刷史を渉猟するきっかけとなって、分析書誌学というあくまで印刷版面を基点とする方法を援用しつつ、組版、印刷とその周辺技術、文化事象の歴史的解明をはかる。また、印刷史の学会として小宮山博史日下潤一らと印刷史研究会(会長・小宮山博史)を発足させ、自らもその機関誌『印刷史研究』の編輯委員を務める。
『音楽全書』(1976年-77年、海潮社)、『同時代音楽』(1979年-83年、ブロンズ社他)、『リベルタン』(1982年、朝日ソノラマ)などの雑誌を編集、ムック『イメージの冒険 神話』(1979年、河出書房新社)を高橋順一や長谷川明とともに企画・編集。ブック・デザインでは81年の『戦車と機甲戦』(朝日ソノラマ)ですでに築地体初号活字や凸版印刷20ポイント活字に基づく自製文字盤を用いていた。以降、一貫して築地体、秀英体などの仮名を駆使したタイポグラフィを実践する。
『ペンギン・クエスチョン』の創刊準備号(1983年、現代企画室)で、見出しの書体を記事ごとに替えるという試みを行う。1984年、『SAGE』(三共社)で羽良多平吉と協働して誌面設計。この年から白虎社のポスター、チラシ、雑誌などをフォトコラージュの木村恒久とともに担当。87年『アサヒ芸能』に30回にわたり連載された「超報道写真」(写真・蔵田精二、執筆・朝倉喬司)では殆ど既製の仮名書体を用いず毎回本文の仮名書体を変えていった。80年代から90年代にかけて制作された自製仮名文字盤は、築地体初号、36ポイント、一号細仮名、一号太仮名、二号太仮名、三号細仮名、秀英体四号太仮名、四号仮名、大日本印刷24ポイント、16ポイント・アンチック、凸版印刷30ポイント(秀英型)、20ポイント・アンチック(築地型)、江川活版行書三号、弘道軒清朝三号、四号など、またゴシック系では大日本印刷32ポイント(築地型)、凸版印刷30ポイント(秀英型)、それに粘葉本和漢朗詠集の単体仮名など。印刷資料への博捜は、最初は、和文タイポグラフィの材料を集めるために始められた。
1987年ころより1992年まで丸6年弱、開館日には連日、国立国会図書館国立公文書館内閣文庫東京大学明治新聞雑誌文庫、早稲田大学図書館特別資料室、青山学院資料センターなどの図書館に籠り、印刷史・書体史などの第一次資料約一万標目を渉猟した。従来の通説であった「本木昌造とウィリアム・ギャンブルから説き始める近代日本印刷史」という視角には、当初から根本的疑問を抱いており、ヨーロッパ東洋学や中国沿岸部でのキリスト教伝道関係の資料を次々に発掘。小宮山博史や鈴木広光らとも協働しながら、より資料的事実に即した印刷史像を描こうとしている。1992年以降、十年ほど月刊『情況』の表紙を設計。2005年10月号まで同誌の本文組版を手掛ける。1997年より通産省傘下の行政法人日本規格協会電子文書処理システム標準化調査研究委員会ワーキンググループ2の委員としてJIS X 4052の策定とJIS X 4051の改訂に参画。
印刷史にとどまらず、出版史、洋学史、新聞史、教科書史、日欧交渉史、和訳聖書史、明治期国語国字改良論争史、国語書記法史、ヨーロッパ東洋学史、プロテスタント伝道史などにわたる研究成果とほとんどが新出の版面図録4000点ほどは、図書館を出て2年ほどで「字体」「書体」「仮名」という文字論の形式を取った全3篇に成稿された。1994年には大日本印刷のCTSのラインで初校ゲラが出ており、1995年中の刊行が目指されていたものの(B5判400ページある最初の単著『組版原論』はいわばその販促パンフレットとして2ヶ月ほどで速成された)、最初の版元リブロポートの社長交代、二番目の版元・第三文明社との民事訴訟などのトラブルが続き、結局、豊島正之東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所准教授(当時)の教示にしたがい、行政法人日本学術振興会の出版助成金を得て、2005年、三省堂から『聚珍録 図説=近世・近代〈文字-印刷〉文化史』として上梓された。B5判全三千数百ページ、全部で約8.5キログラムという大冊である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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