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康応(こうおう)は、日本の南北朝時代の元号の一つ。北朝方にて使用された。嘉慶の後、明徳の前。1389年の期間を指す。この時代の天皇は、北朝方が後小松天皇。南朝方が後亀山天皇。室町幕府将軍は足利義満。 == 改元 == *嘉慶3年2月9日(ユリウス暦1389年3月7日) 改元。病事を理由とする(『続史愚抄』)。 *康応2年3月26日(グレゴリオ暦1390年4月12日) 明徳に改元 病事とは、前年に近衛兼嗣・二条良基と摂関が2代続けて死去したことなどを指すと考えられている〔北爪真佐夫「元号と武家」(初出:『札幌学院大学人文学会紀要』第68号(2000年9月)/所収:北爪『文士と御家人』(青史出版、2002年) ISBN 978-4-921145-13-2)。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「康応」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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