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林森公園および康楽公園は、台北市内の中山区にある公園。園内には唐突に鳥居がふたつ建っており目を引く。 台北市の資料では林森、康楽公園とひとまとめに解説されているが、これは林森北路を挟んで東西に別の名前を付けられたふたつの公園として分割されているため〔 注 : 出典内の年は民国紀元。〕。東側が林森公園で西側が康楽公園である。現地の案内板〔 近辺に設置。〕や一部書籍〔 「康楽公園」とのみ表記されている。〕でもまとめて扱われていることから、本項目でも両公園について記載する。 公園には植物や施設といったオブジェクトがいくつかあるが、この公園を特徴付けるものは岳飛の騎馬像と大小ふたつの鳥居〔である。岳飛は中華圏では代表的な英雄であるが〔、中華圏になじみのない鳥居がなぜここにあるのか。それは次のような歴史によるものであった。 日本による台湾統治の時代にさかのぼると、この場所は1896年に乃木希典の母寿子 が埋葬されてより、日本人墓地として利用されるようになっていた〔現地の看板()より。〕。1900年に正式に共同墓地として認定され、大きな鳥居は1920年、田健治郎総督によって、この地に埋葬された明石元二郎の年忌前にその墓に付属する形で建てられた〔〔。明石総督の墓所は台湾人の寄付により設けられ、皇族を除いて軍人で並ぶものはいないと言われるほどの規模のものであった〔。1935年には明石の秘書官をつとめた鎌田正威もこの地に葬られたので、これにあわせて、墓碑と小さい鳥居が建てられたと見られている〔。鳥居には昭和10年(1935年)10月の刻印が刻まれている。 1945年、日本の敗戦にともなって大陸から軍人が台湾に流れてくると、墓地の上に雑多な住居が立ち並ぶようになった〔。墓石や鳥居を取り込む形でバラックが林立し長らくこの状態が続き、鳥居は物干し台とされる状況であった〔。 1997年に公園整備が台北市により着手され、立ち退きに反対する勢力の抵抗もあったが計画〔1987年より計画されていた。〕は実行された。住居群は一掃され、鳥居は二二八和平公園へと移設された〔。また、明石の遺骸も発掘され移葬された〔。2002年3月に西側の康楽公園が、翌2003年10月には東側の林森公園が完成した〔。2010年、地元有志の働きかけによりふたつの鳥居は二二八和平公園より現在の位置に戻された。また、明石総督の墓所のあった場所には台湾語(中文)、日本語、英語で記された碑文を刻んだプレートが設置された。 == ギャラリー == File:Taipei LinSen Park 2.JPG|森林公園案内図。 File:The Original Resting Place of the late Governor General Akashi.JPG|明石元二郎総督の墓地跡を記念するプレート(台湾語、日本語、英語の碑文)。 File:明石元二郎鳥居及鎌田正威鳥居 (4).JPG|鳥居には昭和10年(1935年)10月に建立されたことが刻まれている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「林森公園」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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