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康茂才[こうもさい] 康茂才(こうもさい、1313年 - 1369年)は、明朝開国の功臣で、軍人。蘄(現湖北省蘄春県西南)出身。字は寿卿。元朝側の水軍軍人だったが、後に明の太祖・朱元璋に使え、後に都元帥となる。 == 朱元璋との出会い == 元朝の支配力低下や度重なる天災のため、中国南部地方は盗賊や暴徒が跋扈する地となっていた。長江中流域北岸で盗賊同然の行動をしていた朱元璋軍は、1356年、食糧を求めて長江を渡り、元朝が支配する太平(安徽省当塗)を占領する。一方、康茂才は地元の民間水軍出身で、この時には元朝に味方して水寨元帥の地位をもらい、太平北東の大都市、集慶(南京)を守っていた。康茂才は、陳埜先と共に太平の奪還を試みるが、かえって朱元璋軍の徐達に撃退されてしまう。朱元璋軍は次いで採石(安徽省当塗北西)、集慶を攻撃し、占領する。康茂才は降伏して朱元璋の部下となった。朱元璋は集慶を応天府と改名し、拠点とした(後の明朝の首都もこの地となった)。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「康茂才」の詳細全文を読む
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