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廉塾ならびに菅茶山旧宅 : ミニ英和和英辞書
廉塾ならびに菅茶山旧宅[たく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [じゅく]
 【名詞】 1. coaching school 2. lessons 
: [ちゃ]
 【名詞】 1. tea 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [きゅう]
  1. (n,pref) ex- 
旧宅 : [きゅうたく]
 (n) former residence
: [たく]
 【名詞】 1. house 2. home 3. husband 

廉塾ならびに菅茶山旧宅 ( リダイレクト:廉塾 ) : ウィキペディア日本語版
廉塾[れんじゅく]
廉塾(れんじゅく)は、江戸時代儒学者菅茶山によって備後国(現・広島県福山市神辺町)に開かれた私塾
開塾は、茶山が34歳になってからの1781年天明元年)頃とされる。当初は神辺町の南方にある黄葉山にちなんで、黄葉夕陽村舎(こうようせきようそんしゃ)と呼ばれていたが、のち茶山が福山藩の非常勤の儒官となり、黄葉夕陽村舎も郷校となったことで、廉塾に改称された。
==施設==
菅竹浦が昭和10年に著した『廉塾採訪記』には、表門からまっすぐ中門に進む小径には数棟の寮舎があったという管理人の記憶が紹介されているが、現存するのは中門の右側に隣接する「寮」(かいりょう)1棟のみである。小径の左には池があり、「廉塾養魚池 政酉抄冬為」と彫った石柱がある。また、池の周囲には5本の柳が植わるが、これは茶山が陶淵明の故事に倣い、五柳先生と自称したことによる。
中門をくぐると講堂になり、庭の西側に二階建ての茶山の自宅、書庫、風呂場などがあり、講堂は三室設けられる。講堂の右側には広い濡れ縁がある。講堂の脇には高屋川から引いた水路があり、塾生はここで筆を洗った。講堂の一番奥には塾頭部屋に使われた小部屋があり、頼山陽が一年余りこの部屋に住んで塾生を指導したという〔奈良本辰也『日本の私塾』淡交社 昭和44年 p.116-118。〕。
廉塾は文化文政期に最盛期を迎えたが、『福山市史(中巻)』によれば、廉塾の「諸生金銀差引算用帳」をもとに塾生の人数を計算したところ、1811年(文化8年)から1824年(文政7年)までの入舎生数は330名余りに上ると推定される。年に20名余りが新しく入舎していたが、去っていった者をも計算に入れると、いつも30名ほどが在籍していたと思われる。
門下生には、頼山陽、北条霞亭関藤藤陰江木鰐水、門田朴斎などがいる。
廉塾及び茶山旧宅は、1953年に国の特別史跡に指定されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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