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廣岡知男 : ミニ英和和英辞書
廣岡知男[おとこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こう, おか]
 【名詞】 1. hill 2. height 3. knoll 4. rising ground
: [おとこ]
 【名詞】 1. man 

廣岡知男 ( リダイレクト:広岡知男 ) : ウィキペディア日本語版
広岡知男[ひろおかともお]
広岡 知男(旧字体:廣岡 知男、ひろおか ともお、1907年8月24日 - 2002年1月5日)は、日本のアマチュア野球選手新聞社経営者朝日新聞社社長、日本学生野球協会会長、全日本アマチュア野球連盟会長。
== 来歴 ==
大阪市北区綿屋町に父真知と母ぬいの一人っ子として生まれる。大阪府立市岡中学校第五高等学校を経て東京帝国大学法学部卒。
学生時代は野球選手として活躍。市岡中時代に第1回選抜中等学校野球大会第10回全国中等学校優勝野球大会に三番遊撃手として出場し、帝大時代には1931年東京六大学野球秋季リーグ戦で首位打者となるなど名選手として知られた。
1932年4月朝日新聞社に入社して大阪本社経済部員、1936年8月東京本社経済部員、1942年7月論説委員となる。敗戦後、共産党の影響を強く受けていた全日本産業別労働組合会議(産別会議。議長・聴濤克巳朝日新聞論説委員)が労働攻勢を強め、傘下の「新聞単一」(日本新聞通信放送労働組合の略称。聴濤克巳委員長)が1946年9月に翌10月の新聞ゼネストを決議すると、ゼネスト反対の中心人物として新聞単一朝日支部東京分会をゼネスト反対にまとめ上げ、ゼネストを頓挫させて執行部を総辞職に追い込み、広岡が東京分会長となり(朝日支部長に森恭三)、労組幹部として頭角を現す。この後、森恭三委員長-広岡知男東京分会長ラインにより朝日新聞社の労働組合は労使共闘路線を採り、産別会議を脱退して、政治闘争から経済闘争を重視する企業内組合の道を歩んだ。そして1948年5月大阪本社経済部長、1950年7月東京本社経済部長、1954年3月東京本社編集局次長と歴任し、1954年12月、代表取締役の東京本社編集局長信夫韓一郎専務取締役に昇進する際、信夫によって後任の編集局長に起用され、1956年12月に取締役となったが、社主の村山家と合わず、1960年12月に西部本社担当へ左遷された。しかし1963年12月に表面化した朝日新聞社の内紛「村山事件」で1964年1月に村山長挙社長が辞任すると代表取締役に就任、次いで3月には東京本社編集局長に復帰。全日空相談役となっていた元常務取締役で朝日新聞社顧問の美土路昌一が同年11月に社長になると専務取締役となって、労組幹部時代の相棒である森恭三論説主幹らと組んで実権を握り、朝日新聞社の経営から大株主の村山家を排除する路線を推進した。1967年7月に社長就任。1971年5月には緒方竹虎主筆解任以来28年間空席となっていた主筆職を復活させて兼務し、朝日新聞社史上初の社長兼主筆となった。1977年12月から1980年3月まで会長。また1975年から1979年には日本新聞協会会長も務めた。
また、朝日新聞系のテレビ局でありながら他系列であった九州朝日放送(KBC。フジテレビ系列)や朝日放送(ABC。TBS系列)を、日本教育テレビ(NET。現在のテレビ朝日)系列に移籍させるなど(ネットチェンジの項を参照)、現在のテレビ朝日系列(ANN)の形成にも大きく関わっている。
社長、会長在任中は、社長時代に2度訪中するなど親中国共産党路線を推し進めたが、折からの中ソ対立が朝日新聞社内にも波及して親ソ連派の反発を買った。社長兼主筆から会長となったのは、親ソ連派の秦正流専務取締役と比較的ソ連派とみられていた渡辺誠毅副社長による一種のクーデターで〔長谷川熙『崩壊 朝日新聞』(ワック、2015年)229頁。〕、さらに「反広岡」で手を組んだ村山社主家と渡辺社長、秦専務らよって朝日を追われた。
朝日新聞社退社後は1984年から2000年まで日本学生野球協会会長、1991年から1999年まで全日本アマチュア野球連盟会長を務めるなどアマチュア野球の発展に貢献した。1994年、特別表彰として野球殿堂入り。
2002年1月5日、前立腺癌のため94歳で逝去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「広岡知男」の詳細全文を読む




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