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延熹(えんき)は、後漢の桓帝劉志の治世に行われた6番目の元号。158年 - 167年。延熹10年は6月に改元されて永康元年となった。 *元年6月:延熹と改元。 *元年8月:梁冀、宦官の手により誅され、自殺する。単超を始めとする宦官が列侯に封じられる。 *9年:大秦国王安敦(ローマ帝国皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスと考えられる)の使者が来朝。 *9年:12月、清流派の李膺ら200余人が投獄される。 == 西暦・干支との対照表 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「延熹」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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