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建福寺 : ミニ英和和英辞書
建福寺[けんぷくじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふく]
 【名詞】 1. good fortune 
: [てら]
 【名詞】 1. temple 

建福寺 : ウィキペディア日本語版
建福寺[けんぷくじ]

建福寺(けんぷくじ)は、長野県伊那市高遠町西高遠にある臨済宗妙心寺派の寺院である。


==歴史==
伝承によれば文覚上人(1139年1203年)が独鈷池付近に開創。
康元元年(1256年蘭渓道隆(大覚禅師)が立ち寄り、鉾持山乾福興国禅寺(ほこじさんけんぷくこうこくぜんじ)を興した。
のち、武田信玄の帰依により、静岡市臨済寺から東谷宗杲禅師を招いて中興開山とし、妙心寺派となった。
貞享2年(1685年)、喝道和尚中興、明和3年(1765年)3月24日類焼、安永4年(1775年)少山和尚がさらに中興するも、嘉永4年(1851年)正月19日焼失、安政3年(1856年)に再建した。
武田勝頼が藩主の時、武田家菩提所とし、母諏訪御料人を埋葬して乾福院殿という。
さらに次の藩主、保科氏も菩提寺とし、大寶山建福寺と改名。
寛永13年(1636年保科正之が会津若松藩主となり、移封する際に、鉄舟和尚が供奉して会津にも建福寺を創建した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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