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建許呂命(たけころのみこと)は古代日本の人物。建己呂命、建凝命とも書き(『新撰姓氏録』)、また天津多祁許呂命や多祁許呂命(『常陸国風土記』)、建許侶命(『先代旧事本紀』)とも書く。 『姓氏録』によれば、天津彦根命の14世の子孫にあたり、中央氏族の三枝部連と庵智造(以上大和国神別)、高市県主(和泉国神別)の祖とされる。 地方にあっては『常陸風土記』に茨城国造(後の常陸国茨城郡にあたる国の国造、現茨城県中部。以下これに准う)の祖で、神功皇后の朝廷に仕え、その子供が8人いたとされ(茨城郡条)、『旧事紀(国造本紀)』でも茨城国造の祖で、成務天皇の時代に初めて石城国造(陸奥国石城郡。現福島県いわき市)に任じられたとある。 また『国造本紀』では、その子供が成務天皇の時代にそれぞれ *師長国造(相模国西部。現神奈川県西部) *須恵国造(上総国周淮郡。現千葉県南西部) *馬来田国造(同国望陀郡。現千葉県南西部) *石背国造(陸奥国石背郡。現福島県岩瀬郡) に任じられ、また、応神天皇の時代に別の子供が *茨城国造 *道口岐閇国造(常陸国北端。現茨城県北端) *道奥菊多国造(陸奥国菊多郡。現福島県いわき市) に任じられている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「建許呂命」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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