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建部巣兆(たけべ そうちょう)は江戸時代中後期の俳人、絵師。実姓は藤沢、諱は英親(ひでちか)、通称は平右衛門、字は族父。 倭絵師を自称し〔郷土博物館(2009)〕、父竜斎の知る与謝蕪村の俳画を指向して江戸蕪村と渾名された〔増田(2003)〕。夏目成美、鈴木道彦と共に三大俳画家と称され、幕末から明治にかけての画人伝の類では一定の評価を受けている。俳諧では化政期を代表する俳人の1人で、松尾芭蕉も欽慕し、足立区立郷土博物館所蔵「松尾芭蕉像」に「蕉下希子」、『寅歳関屋帖』に「武陵蕉門」と名乗る。 == 経歴 == 宝暦11年(1761年)、江戸本石町三丁目(日本橋室町三丁目交差点付近、現在の日本橋本石町ではない)に書家山本伝左衛門竜斎の子に生まれる。山本伝左衛門家は伊勢国飯野郡射和村(三重県松阪市射和町)から徳川家康に従い江戸に入り、代々馬喰頭を務めた家柄で、正徳年間には長崎屋源右衛門から一番組名主役を引き継いでおり、桑名屋または山本屋として醤油屋を営んでいた。 父の師白井鳥酔の弟子加舎白雄に俳諧を学び、八弟子の一人となる。絵は桜井雪館、次いで住吉広行に学んだ〔同時代資料である、千住二丁目の名主・年寄を務めた永野家の私的記録文書『旧考録』(足立区立郷土博物館所蔵)より(真田(2010)p.10)。〕。天明8年(1788年)、今日庵編『百名月』に黃雀という俳号で入句を果たすことで頭角を現し、後に白雄八弟子の1人に数えられる〔矢羽勝幸 『定本・俳人加舎白雄伝』 郷土出版社、2001年。〕。 寛政元年(1789年)、足立郡千住河原町藤沢家の養子となり、藤沢平右衛門と称した。同年には王子権現の神主に就任した。ところが、藤沢家の家業或いはそれに関係する商売に加わったものの何らかのトラブル〔菜窓無角 『俳家成美全集』収録の「建部巣兆」では、何らかの理由で他人と争ったため訴訟沙汰となり、悪意ある人の介入で罪を被ったため世を厭い隠棲した、としている。ただ、菜窓は何らかの原本や伝聞を元に本文を書いたと思われるが、その典拠は不明。〕に見まわれ、関屋の里と呼ばれた地に秋香庵に隠棲し〔真田(2010)pp.4-6。〕、地元の住民と千住連を組織して、俳諧や俳画に興じた。具体的な場所については、『南北千住町今昔見聞実記』に旧掃部宿東堤内、向山鉄工所筋向の元氷川面とある。 文化11年(1814年)11月17日死去。浅草北寺町日輪寺に葬られた。法号は冬樹院卜阿巣兆居士。関東大震災後、区画整理により墓石は解体され、漬物石になったともいう。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「建部巣兆」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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