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式守家(しきもりけ)は、大相撲の行司家の一つ。式守の名の由来は「式とは何ぞ法を取るの名也」とされている。〔16代吉田追風より1749年8月付で式守五太夫(初代伊勢ノ海)に出された文書より。〕 == 由来 == 式守家の創設の由来は諸説あるが、明和4年(1767年)5月の番付から名前が乗るようになった、初代式守伊之助が式守姓最初の行司であると言われる。 初代式守伊之助は、本名:谷伊之助。元文5年(1740年)生まれで、元は伊勢ノ海部屋の力士。その後行司に転向し、吉田司家の門人に。安永3年(1774年)10月、木村庄之助の次位となり、寛政9年(1793年)10月(実質的には3月)に引退。 その後、彼の弟子たちが式守姓を名乗るようになった。この関係で、明治30年代までは伊勢ノ海部屋系統の部屋の行司のみが式守姓を名乗り、木村姓の最高位が木村庄之助、式守姓の最高位が式守伊之助と決まっており、姓を変更する事は無かった。 これが終焉したのは明治44年5月、友綱部屋の6代木村庄三郎が10代式守伊之助を襲名してからで、それ以後、姓を変えるようになった。 行司の年寄襲名が禁止される前は、式守伊之助は式守または永浜を年寄名として名乗っていた。今でも立行司は相撲協会の現役評議員の資格を認められており、呼び名は「親方」といわれる。 なお、年寄名跡の式守秀五郎は、元々行司が襲名した年寄名跡が起源である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「式守家」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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