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『弓矢八幡剣』(ゆみやはちまんけん)は、1934年公開の日本映画である。中川信夫監督の処女作であり、市川右太衛門プロダクション第二部が製作・配給した。白黒映画、サイレント映画。同年10月に大阪・芦辺劇場、同年12月1日に浅草・金曜館で公開された。 == 概要 == 1932年(昭和7年)にマキノ・プロダクションから市川右太衛門プロダクション(右太プロ)に移籍した中川信夫の監督処女作である。 本作を製作した同プロダクション第二部は、右太衛門主演作以外の作品を製作する部門である。本作は、中川の監督昇進試験の意味合いを持っていた〔『中川信夫年譜』、p.262。〕。助監督時代の中川が、同プロダクションに提出された二つの企画に『夏祭お夏狂乱』と『弓矢八幡剣』というタイトルをつけたところ採用され〔『対談 青春時代を語る』、p.173.〕、同プロダクションのプロデューサー柳武史(柳川武夫)の推薦で、後者、つまり本作の監督に中川が抜擢された。ただし中川本人は自叙伝の中で本作が処女作であることには触れず、「実質的な監督第一作」を、1935年の『東海の顔役』であると書いている〔『自分史 わが心の自叙伝』、p.25、および同頁『東海の顔役』図版に添えられた注釈。〕。 中川とは雑誌『キネマ旬報』に読者評論を寄稿していた時代からの親しい友人で、後に映画評論家となる滝沢一が、「編集助手」として本作の製作現場に参加している〔『対談 青春時代を語る』、p.174.〕。 本作が、大阪の芦辺劇場で公開された時には、中川が自ら弁士をつとめている〔『対談 青春時代を語る』、p.173.〕。当時、同プロダクションでは、助監督が試写で弁士をつとめることが慣習になっていた〔『対談 青春時代を語る』、p.173.〕。 フィルムは現存していない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「弓矢八幡剣」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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