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弓裔(きゅうえい)は、後三国時代の群雄のひとり、後高句麗を建国した。 姓は金、僧号は善宗。隻眼であったことから一目大王との別称もある。 専制的な暴政、もしくは豪族たちとの対立が先鋭化し、918年の「易姓革命」で侍中であった王建に追放されることとなったため、諡号はない。 == 生涯 == ===三国史記に記される出生=== 『三国史記』によると新羅の第47代国王・憲安王或いは48代景文王の側室の子として生まれ、日官は王に「赤ん坊は重午日に生まれただけではなく、出生時の空がおぼろだったことや、生まれたばかりなのに歯が生えているところが不吉である」といい、王は弓裔を殺すように命令したという〔『三国史記』列伝第十弓裔条(井上他,平凡社1988,p.207)〕。 しかし兵は赤ん坊の弓裔を殺せず、宮殿の下に投げ捨ててしまった。宮殿の下で乳母が転落する弓裔を助けたが、弓裔は助けられた際に乳母の指が目に刺さり、それがもとで隻眼になった〔前掲書,p.208〕。乳母は弓裔と都から遠くに逃亡し、貧窮のなかで実の母として弓裔を育てたという。 弓裔が10歳になった頃、乳母は周囲と悶着を起こしてばかりいる弓裔に出生の秘密を告げた。乳母は「あなたは王室の子として生まれて、殺されるところだったのを気の毒に思った。それであなたを命をかけて育てたのに、あなたは毎日騒動を起こして私に心配ばかりがけている。それが悲しいのです。あなたの正体が知られると私たちは殺されるのですよ」と言った。弓裔は泣きながら「私が悪い。もう二度と母上に心配をかけることはないだろう」と言って家を出た〔前掲書,p.208〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「弓裔」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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