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引田 利章(ひきた としあき)は、大日本帝国陸軍の研究者。当時フランスに支配されつつあったインドシナ半島の歴史、情勢等を研究した。 == 経歴 == 嘉永4年(1851年)6月14日、長門国阿武郡江向村に長州藩士引田利亮の次男として生まれた。明治3年(1870年)大阪に出て、明治4年(1871年)1月31日大阪陸軍幼年学校に入学し、明治5年(1872年)10月幹事、明治6年(1873年)8月総幹事を歴任した後、明治8年(1875年)12月陸軍省一等専業生となり、この頃フランス語を学んだ。 明治11年(1878年)1月12日陸軍省に出仕し、明治16年(1883年)2月26日陸軍大学校助教兼参謀本部編纂課課員、明治19年(1886年)12月17日陸軍大学校教授兼参謀本部陸軍部御用掛、明治20年(1887年)10月26日陸軍大学教官兼参謀本部陸軍部課僚となった。 明治19年(1886年)5月22日仏学会設立に参加し、理事員となった〔「古市公威とその世界」〕。 明治23年(1890年)7月11日肺結核のため東京府四谷区坂町78番地の自宅で死去した。当初萩市善福寺に葬られたが、明治43年(1910年)青山霊園に移葬された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「引田利章」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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