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弘光(こうこう)は、中国、南明政権の弘光帝朱由崧の治世で使われた年号。1645年1月 - 6月。 == 改元 == 崇禎17年(1644年)3月19日、明朝は滅亡するが、5月15日に万暦帝の孫である福王朱由崧が南京において皇帝に即位し、亡命政権(南明)を発足させ、明朝復興運動の中心となる。即位の際に年号を「弘光」と定め、踰年改元法に則り、翌年(1645年)をもって弘光元年に改元する。 弘光元年5月24日、清軍の攻撃を受けて南京が陥落、28日、弘光帝は清軍に捕らえられた。残存の南明勢力は福州に逃れ、閏6月15日、唐王朱聿鍵が皇帝に即位、年号を「隆武」と定め、その年の7月1日をもって改元した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「弘光」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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