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弘兼 憲史(ひろかね けんし、1947年9月9日 - )は、日本の漫画家。山口県岩国市出身。有限会社ヒロカネプロダクション代表取締役。徳山大学客員教授。 松下電器産業(現・パナソニック)勤務を経て、1974年『ビッグコミック』(小学館)掲載の「風薫る」にてデビュー。代表作は『課長島耕作』シリーズほか、『人間交差点』『黄昏流星群』など。サラリーマンとしての経歴を生かし、現代社会に生きる様々な大人達の生活や、葛藤をテーマとした作品を描いている。大手企業のサラリーマン経験がある漫画家は当時はまだ少なく、その先駆けとなった人物の一人でもあった。 代表作の『島耕作』シリーズは、団塊の世代への熱烈な応援歌とのスタンスで描いているとされている。作品では、頻繁にベッドシーンが描かれる。コンセプトは「美しく、色っぽく、尚且つ汚くならずに上品に描く」。熟女好きを公言し、作品では体の線が崩れた女性の陰毛まで描写されることが多い。 口髭を生やした風貌が特徴的。随想も数多く書いている。妻は元アシスタントで漫画家の柴門ふみ。広島カープのファン〔3月31日 弘兼憲史 放送後記 - ドコモ 団塊倶楽部 、ドコモ団塊倶楽部 〕。 == 来歴 == 父はガス会社勤務の共産党員であった。 小学生の時に手塚治虫のファンになり、漫画家を志す。早稲田大学第二法学部卒業。在学中は漫画研究会に所属した。他の大学の漫研との連合では、かわぐちかいじや西岸良平らと知り合った。吉永小百合とは大学時代の、実業家の隅修三とは中学校の同級生という。 1970年に松下電器産業(現・パナソニック)に入社し、広告宣伝部に勤務した(当時のラジカセ購入者特典の小冊子「テープレコーダーをかついで自然の中にとび出そう」のイラスト等を手がけている)。1973年に退職する。1974年、『ビッグコミック』(小学館)に「風薫る」を発表してデビュー。 1980年に開始した矢島正雄原作の『人間交差点』(ヒューマン・スクランブル)で、その存在を認められる。様々な人間達のドラマを描いたこの短編シリーズは高く評価された。 1983年に『課長島耕作』の連載を開始する。サラリーマン・島の活躍と色恋を描いた怒涛の大河ロマン『島耕作』シリーズの第1作である。これ以降、同シリーズは延々と続き、弘兼の代表作となる。 1991年に『加治隆介の議』を連載開始した。サラリーマンの加治隆介が国会議員になり、遂に内閣総理大臣になると言う政治漫画である。2000年4月に、同作を支持する前原誠司、石原伸晃、石破茂、山本一太、渡辺喜美等によって、テレビドラマ化させるための超党派の議員連盟(「カジ派」)が結成された。しかし、この計画は頓挫した。 1995年に連載を開始した『黄昏流星群』は、人生に疲れた様々な中年、高年の男女を描いた連作短編の恋愛漫画である。「従来の恋愛漫画は若い男女の話しか描かなかった。中高年の恋愛を決して蔑ろにしてはいけない」と言う強い意識の元で描かれた。中高年のセックスと言う、それまでほぼ無視されてきた重いテーマに取り組んだ。 松下政経塾講師団に名を連ねている。 2006年から対談本『本日の雑談』シリーズの西部邁(反米保守)の話し相手を務める(初代は小林よしのり)。 2007年4月、内閣官房「美しい国づくり」プロジェクト・企画会議委員に選ばれる(9月、安倍内閣退陣に伴い解散)。同年には、母校・早稲田大学の創立125周年記念に制定された、熊のキャラクター(創立者の大隈重信→“クマ”にちなんで)「WASEDA BEAR(ワセダベア)」を制作した。 山口芸術短期大学デザイン・アート学科の特別講師も務めている。 自宅兼作業場所は、2011年より吉祥寺南町。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「弘兼憲史」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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