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弘忍 : ウィキペディア日本語版
弘忍[ぐにん]

弘忍(ぐにん/こうにん、602年仁寿2年) - 675年上元2年))は、中国禅宗の五祖。没後に代宗の時代になって、大満禅師の諡号と、法雨塔の塔号を賜る。
黄梅県(湖北省黄梅県)出身(『宋高僧伝』では、或いは淮左潯陽(江西省)の出身という)で、俗姓は周。
== 生涯 ==
若年で出家し、12歳(『楞伽師資記』では7歳)で東山の四祖道信の弟子となり、後に黄梅県の憑茂山(東山)に住して化導に専心し、中国禅宗の本流となる東山法門を発展させ、中国禅宗発展の下地を作った。『続高僧伝』にも既に、師の道信の墓塔を造った弟子として、その名が見える。『伝法宝紀』や『楞伽人法志』による限りでは、弘忍は道信の下で肉体労働もした朴訥な人柄であり、文記を出す事がなかったといわれるが、彼の説とされる『修心要論』があり、晩年には国都の多くの貴顕が帰依したと伝えられる。
弟子に両京の法主となる大通神秀、後に自らが七祖になろうと画策した弟子の荷沢神会により六祖にされた曹谿慧能がいる。それぞれの門流は後に北宗、南宗と呼ばれ、唐代宋代を中心に禅宗を発展させた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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