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弥生土器(やよいどき)は、弥生時代に使われた素焼きの土器。 == 出土場所 == 1884年(明治17年)3月2日、東京府本郷区向ヶ岡弥生町(現東京都文京区弥生)の向ヶ岡貝塚で貝や縄文土器とともに口縁を除いてほぼ完形の壺が出土した。 発見者は、学士院会員・海軍中将造兵総監有坂鉊蔵、理学博士・坪井正五郎、白井光太郎。 発見地については、1889年(明治22年)坪井正五郎が『東洋学芸誌』に報告し、1923年(大正12)に発見者の有坂鉊蔵が記録を残している。向ヶ丘貝塚の正確な位置については長い間不明であったが、東京大学文学部考古学研究室が、本郷キャンパスの一角、工学部9号館の近くで遺構の一部を確認し〔熊野正也「弥生町式土器」『日本土器事典』所収,雄山閣出版,1997年 ISBN 978-4639014065〕、その周辺であることがほぼ確定的となった。1974年、東京大学構内で弥生土器が発見され、翌年発掘調査が行われた。その区域から環濠と考えられるV字形の溝が検出された。この調査地点が、弥生の壺の発見者である有坂鉊蔵の向ヶ丘貝塚の記述と合致し、弥生の壺発見場所はV字形環濠のうちのどこかであった可能性が高い。同遺跡は「弥生二丁目遺跡」という名称で史跡指定されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「弥生土器」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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