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張保 : ウィキペディア日本語版
張保[ちょうたもつ]

チョン・ポーチャイ張保仔、Cheung Po Tsai、生年不詳 - 1822年)は19世紀初頭、清朝の代表的海賊の一人。
香港近海を根城とし、最盛期には配下数千人、千隻を超える大船団を従えた大海賊。
== 略歴 ==
漁師の息子であったが、15歳の時、大海賊・鄭一に拉致されて海賊の一員となる。美少年であった張保仔は鄭一に気に入られ、程なくして頭目に取り立てられる。鄭一の死後は鄭一の妻・石氏(鄭一嫂(ていいちそう))の信任を受けて鄭一の組織を継承、。紅い旗を旗印にしたことから"紅旗幇"と呼ばれた集団を率い、"艇盗の乱(ていとうのらん)"の頃南シナ海で最大の勢力として広東沿岸一帯にかけて活動した。
しかし自身が大変貧しい家の出であった張保仔は貧乏人には食料や金品を与え、子分には貧乏人からの略奪を禁じるなどした事から、庶民からは貧しい人を救済した義賊として人気があった。
1810年、両広総督・百齢の海賊鎮圧策の前に降伏。海賊組織は解散させられたが、張保仔は武官として取り立てられ、1822年に没している。
張保仔の財宝の隠し場所であったという「張保洞」は長州島の観光名所だが、これ以外にも香港には張保仔に関わる史跡が多数残っている。
ビクトリア・ピークの香港名「扯旗山」は、張保仔が自旗を掲げたことからその名が付いたというし、そのビクトリア・ピークに至る「張保仔旧道」も現存。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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